★Around The World : 3,162days
☆149countries : in El Chalten, Patagonia, Argentina
★Distance : 42km(Total Distance147,921km)
I conquered biking in Carretera Austral, Chile.
I am in Chalten, Argentina.
Fitz Roy stand up in front me.
Awesome...
目の前に見えるのはパタゴニアの存在を世界に知らしめた山「フィッツ・ロイ」。
その麓にあるサイクリストのためだけの宿「Casa Del Ciclista Charito」。
そして足元にいるのは、まだ幼さの抜けていない猫だと見て分かる「Crema Oreo」。
猫がじゃれてきたのはいつぶりだろう??
僕は元来、動物好きだ。
いや、獣好きだと言ってもいい。
自然の中での存在全てに敬意を払うことを忘れないでいるつもりだ。
だから、僕と獣との距離はいつでも一定でありたい。
彼らが近づいてこない限り、僕からはそっと見るだけに留めておきたい。
だって僕だって、気分によっては近づいてほしくない時だってあるんだから。
そんなことを回想している間にも、クレマオレオは僕の一番深いとろこに堂々と陣取り、「我が意を得たり!」な~んて、したり顔で寝入ってしまった。
小学生の頃から小型犬と一緒に暮らす僕は、獣に嫌われるタイプではなかったと思う。
むしろこちらから近づかなくとも、いろんな獣が寄ってきていた。
クレマオレオのあまりの図々しさ溢れる顔を見ていて、それがここ最近なかったことを思い出した。
「きっと、殺気立っていたんだろうな・・・、俺。」
自転車三大聖地『アウストラル街道』
スタート地点のChaitenからゴールのO’higgins村まで、約990km。
そのあとには、トレッキング道が約22km続き、アルゼンチン側の村「エル・チャルテン」まで、未舗装路が38km続く。
約1,100km。
このルートが自転車乗り、ヒッチハイカーにとっての聖地『アウストラル街道』と言われる。
アスファルトは約400km。
その他の部分は未舗装路で、めでたく迎えた僕のパンク回数100回目はなぜか未舗装路ではなくアスファルトだったのも、人生と似たようなものだよねと納得顔でパンク修理をした。
その代わり、最強を誇るドイツ製のシュワルベタイヤが悪路でバーストし、5年間無傷だったトゥークリップは粉砕し、人類の英知の結集のようなクロモリ製のキャリアは破壊した。
経験値の量を過信し、この8年間で恐らく最大の積載量となった自転車95kg。
明らかに僕のエゴだ。
未舗装路と急傾斜で自転車バックが地面にひっかかり、転倒した回数は冗談じゃなく100回を越える。
そのたびに全身に落雷が駆け抜けるような痺れを感じ、あとからじわりと込み上げる疲労感に天を見上げざるを得なかった。
しかし僕は知っている、そんな状況でも僕の口角がどこか上がっているのを。
パタゴニアの風は噂以上にこの世界をシメめていて、サイクリストのみならず、ここに生きるすべての運命を左右できるほどの力を持っている。
ここに住む人達は、肉は食べれても葉のつくような野菜はヨソから持ってこないと食べれない。
野菜がなければコレステロールもたまるばかり。
頼る足である船は、パタゴニアの風によって2週間も出ないこともある。
アラスカでの生活もそうだった。
地産地消で自給自足。
春の足音を羊の赤子で微笑して、夏の訪れを氷河の解け水の量で感じて、秋の匂いを農作物たちから教えてもらい、冬の気配を我が手の乾いた手で察知する。
季節風のように再会する孫の成長で自分の齢いを認める。
それを僕は牧歌的生活だと思って憧れていた。
羊を連れて、山に木と向かい合う時間を求めて入る。
中学生の頃に文集に書いた「将来の自分」を僕は今も忘れない。
家には薪暖炉で焼くパンの匂いが広がり、胃の内側からだけでなく心から温まるスープを作る愛妻がいる。
焼きたてのパンに庭先で採れた実で作ったジャムをぬる。
そして愛妻のその隣でマテ茶で口を濁しながら、馬を引く手綱で分厚くなった手で妻の肩を抱く。
大切な人と過ごす時間は美しい。
そしてその時間を共有した人が自分のPhotoフィルムのように、一生褪せることなくいてくれるのだから。
それだけでいい。
それで十分だと思っていた。
しかしここでの生活はそんなに甘くはないんだと、彼らの生活が教えてくれた。
短い夏とは対照的に到来する長く厳しい冬。
そのための薪や食糧貯蓄などの冬支度。
愛処を離村せざるえないことすらだってある。
どこの家庭にもソーラーパネルと無線機はあった。
短い夏にしか訪れないツーリストからの収入が彼らの貯蓄へと直結する。
そのツーリストの量は、僕が今まで見たどの地域よりも多種多様で多勢だった。
地元民の生活を一変させるのには十分な量だ。
なにかその容易さは、ここでの名物観光地『マーブルカテドラル』が、コンピューターグラフィック1つで様変わりするのと似ている。
かつてバリ島が、かつてイースター島がそうであったように、そう、世界中のどこもがそうであるように。
当初15日間で駆け抜けるつもりだったこのルートを、その3倍の時間をかけたのには訳があった。
去りゆく村々がこんなにも名残惜しいと感じるのは、今に始まったことではないが、こんなにも歓喜と同時に切なさをお土産に持たされる場所はなかった。
ここは確かに美しい。
僕が見てきた景色の中でもすこぶるいい。
だが・・・、
ここは僕の住む場所ではない。
僕にはまだその自信がない。
雨は地面だけを固めるのではなく、僕の足止めもして、人と自然の出会いの数だけ、僕の心も湿らせ、そして固めた。
再訪するのにこれほど自分の成長を確かめられる場所は、ここ以上にないかもしれない。
月はいつでもそこにあるのに、太陽に見せ場を譲っている。
そのことが分かっただけでも、僕はここに来た意味があったんだと思う。
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