タニマチという文化 | Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

鑑賞は生中心主義。自分の眼でライブで見たことを中心に、語ろうと思います。

先日ご一緒した方が、今の政治にめちゃめちゃ怒っているのに驚きつつも、頼もしく感じました。

ほんと、今の政治変だから。

そろそろ人民の怒りが爆発寸前なのかも知れぬ。


自民党の裏金問題で納得できないことのひとつに、

「いったいなんで、そんなに政治にお金かかるんだよ」

があります。選挙?誰かにばらまくため?

内情を少し知るひとたちは皆、選挙ってめちゃくちゃお金かかるって言いますよね。それって一律に止めさせることってできないのかな。制限するとか。


それとは別に、ひとつ思うこと。

何かで読んだのだけど、たとえば何かのセミナー?とかに(聞く側として)出席すると、会費の倍くらい置いてくるんだそうだ、政治家ってものは。

そうすると「あの先生は太っ腹」「頼りになる」と思われる…?(推測です)

こういう風土が日本にはありますよね。お気持ちで…という建前の一方で、実は上乗せ分で忠誠度?応援の気持ち?を図られる。

察しないひとは、野暮。


そうそうそう、宝塚の「お花代」ってやつがまさにそれです。

チケット取るにはいろんなルートがあるけど、ビギナーさんは遠からずどこかでこれにぶちあたって、最初は「え?」と思うだろう。すぐ慣れちゃうんだけどね、見たいから。←これが問題か?

歌舞伎などの影響受けてるのかもしれないが、閉鎖されたコミュニティ内の「常識」が、きっとあちこちにあるんだろう…。

表沙汰にされない上乗せ、その積み上げが「金のかかる政治」風土を作り上げている要因のひとつなんじゃないのかなあ…つまり、日本人のメンタリティに起因してるってこと。


まあ、民主主義にはお金がかかるというし、外国のその辺の事情はどうなのか知りません。が、こうしょっちゅう与党のお金問題で揉め続け、そのたび絶対に口を割らず逃げ切るひとたちを見ていると、どうにも根深いものを感じずにはいられない。

お金が出ていく、というのは受けとる側があるんだものね。


元スターの発言「私を応援することで箔がつく」とは、タニマチ文化が捻れた成れの果て…。


以前書いた記事