「降りてきた!」と思えた瞬間ありますか? | Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

鑑賞は生中心主義。自分の眼でライブで見たことを中心に、語ろうと思います。

トップスターさんの卒業に際して「頭の中で鐘が鳴って、あ、今だ!と思った」という話が、ひところよくありました。(昨今はないのかな?)


そんなこと、みなさまにもありますか?


私にも「鐘じゃないけど…降りてきた」と思えた時がありました。もう十何年前…。


会社から外部研修を受けさせてもらっていて、毎回レポートあって辛かった。

前回のレポートがひどい点だったので、これは何とかしないと…と思いつつ、明るい日が差す休日に自宅パソコンに向かって考えていたある日のこと。


次回課題のケーススタディは、とある保険会社での業務革新の話で、革新を!というわりには、衆目一致するスピード感の「ない人」がプロジェクトリーダーに指名されていて、話し合いは案の定停滞中。背景には派閥による社内抗争もあって、これからどうしたもんか、というものだった。


そのケースの意図するところ…受講生たちに何を気づかせようとしているのか…がわからなくて、ずっと悩んでいた。いつもの私なら適当に手を打って(経営陣に直訴してリーダー代えるとか)適当に仕上げてたと思うのだけど、なぜかその時はそれをしたくなくて。

その日だけじゃなく何日も前からずっと考えていた。そのことだけで既に私としては変。前もって準備するタイプじゃないから。


で、アタマくたくたになってきた頃突然、降りてきたんです。

「これは違う。真逆だ」

と、聞こえた。

今でもその瞬間のことは覚えてる。きれいに晴れた日のお昼頃。リビングのテーブルは模様替え前で、今と違う配置。私はキッチンの方を向く側の椅子に腰かけていた。


頭上から光が降りてきたような気もするし、今までのばらばらのインプットがいきなり手を繋いで、横にさーっと広がったような気もする。

私は書き始めた。


そのケースが題材になった研修の日、私は自信も何もなかったけど、議論が行き詰まった中でその「降りてきた」持論を持ち出してみた。

…講師から正しいと言われたかどうかは覚えてない。こうした研修は正しいも正しくないもなくて、議論にこそ意味があるのだから。

ただ、セミナー室の空気が微かに動いたのと、保険会社から転職してきた男性が掩護射撃してくれたのは、記憶にある。


この日から、私にとってこの研修は意味深いものになった。

考えを重ねた先に天啓(…ってほどの大袈裟なものでは全然ないがwww)めいた発見があるということ。何かが繋がる瞬間があるということ。でもそれはショートカットや(今でいう)「タイパ」なんてものを追求してる人には訪れないということ。

それを実体験として握りしめることができたのだ。


…とここで終わればまあ、しょーもない(昭和オジサンてきな)想い出かつ自慢話でしかないんだけど、昨今とは事情が違いますね。

今や、YouTube巡ってみれば何を学ぶにしてもためになる動画たくさんあるし、座学でよければ居ながらにしてめちゃめちゃ勉強できる。研修どころか、実験だの実習だのがない文系の大学なんて行く必要あるのか?とすら思う。

私が悩んでた課題だって、有名研修会社のケーススタディだから、とっくに正解(めいたもの)がネットに上がってるに違いないです。私が探せないだけで。


ただ、フィールドワーク系のことはネットやリモートではできない。しっかりした座学+身体を動かしての会得、そのセットでないと自分の物にしたとは言えない。


…そして、トップスターさん(に限らないかもだが)たちが「鐘が鳴った!」と仰せなのは、それまでギリギリまで考え抜いて、極限まで動いて、身体の声に耳を澄ませたからこそ得られる体験なんだろうと思う。彼女たちはアーティストにしてアスリートなのだから。

そんな人たちの舞台を観たくて、私は足を運ぶ。


「ギリギリ」に挑んでしかたどり着けない境地と、「適切な働き方」のバランス…それを探している、今は途上なのだろうと思います。