普遍性と多様性について考えた。花組「アルカンシェル」 | Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

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鑑賞は生中心主義。自分の眼でライブで見たことを中心に、語ろうと思います。


2024年5月11日11時公演

新人公演入れて4回目です。
花組の方々みなさま、れいちゃんまどか姫を惜しみつつ、一番のはなむけは「全力で演じきること!」とばかりに渾身で演じておられて…いやはや、こちらも全力で観るので、疲れますー。

ま、ジェンヌさんたちの全力投球は今に始まったことではないので、今日は作品について書きたい。

…小池先生はなんでナチスものにしたかなー。れいちゃんの退団公演に。
もともと私は戦争もの好きでなくて…でも架空のものならまだなんとか消化できなくもない。
だけどね、ナチスが題材って本当に取扱い注意だと思うんですよね…人間の考えうる最大の虐殺。
といいつつも、私たちがあまり知らないだけで、スーダンとかカンボジアの内戦だとでもめちゃくちゃな人数が虐殺されている。
フランスとナチスの戦いは、フランスが戦勝国になったから、欧州の大国だから、あれこれ語り継がれているともいえるのではないかな。

遠い日本(つまりは安全地帯)でナチスの話書くのなら、日本の大戦というか敗戦の話を書いて世に問うべきなんでないか…でもそれはリアリティありすぎで誰も見たくない、ここはこまつ座ではないのだから。それもわかる。
自分の国のこと書けないんだったら戦争のこと止めようよ。まあ、小池先生はサービス精神満タンな人だから、ファンのためと思ってるのかもしれないが…。

と、思いました。私見です。

とかなんとか文句言いながらも好きなのは、慰問の場面です。なんかほろりとする。
まどか姫(今さらだが本当に大人の女を演じられるようになりましたよね)が「古代ギリシャの戦士もみなさん方も同じです」とドイツ兵に語りかける。
本当にそうだと思う。サイコパスでない限り、果てしない殺戮を好む者なんているのか?
これは人類の普遍性だと思う、思いたい。
そして、多様性かまびすしい昨今ではあるが、普遍性とのバランスはとっても難しい。
「フツーこうだよねー」とか簡単に言ってはいけない、でも共通の何かはあるんではないか、人を人たらしめている何か…という思いは消えない←私は。
切り分けができないもんだから、いつまでたっても「自分のフツー」がどこに位置するのかわかんなくて、失言してしまう◯◯党のおじさんたち…おっといけない、全員そうではないよね。いかんいかん。
(日本では多様性というと個人の嗜好面が強調されがちだけど、社会的・文化的側面も大切だと思ってます)

*多様性についてはぜひこれを。(映画は観てませんが、刺激的な小説でした)


さらに、フィナーレで、大階段を降りてくるれいちゃんを見つめる、まゆぽんの表情にぐっときた。
何を思っているのかな。
私なんかにわかるはずもないし想像するのもおこがましいけど…。この世にピュアなものがあるとしたら、きっとこれも入る。

華やかな花組、上品な花組。
そしてそれを体現するれいちゃんとひとこ。
支えるほのかちゃんとあかさん。
刻々と近づいてくる最後のときを、息を詰めて見守っている私たちです。