乗り物好き | Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

鑑賞は生中心主義。自分の眼でライブで見たことを中心に、語ろうと思います。

最近気づいたのだが、乗り物が好きである。


ハードとしての乗り物に興味があるというより、整然と運営されているさま、人と手段と、メカニックの関わり…まあ、いわゆるソフトと言うのだろうか、そういうのが好き。

生まれ変わったら運輸系の仕事に就きたいなーとか思う。


東日本大震災の後、かなり経ってから常磐線が復旧された際に、沿線の住民のかたがたが大層喜んでいらした映像を見て、そうだよなーと思った。

活力の復活というか。

どこかに繋がってる、1人じゃないというか。

その象徴だったんだと思う。


話は飛ぶが、わが両親は「地に足が付いてない」人たちで、いつも「ここでないどこか」を希求していた人種であった。現実的なことに疎くて夢みがち。

例えば、災害でもあって行政から生活必需品が配られる、などの場面では一番出遅れて列の最後につき、入手し損ねるタイプである。

私を快く…というかむしろ追い出すかのように東京の大学に出してくれたのも、今思うと自分の拠点を都会に欲しかったのだと思う。東京への憧憬が強かった。私が産まれる直前まで転勤で杉並区に住んでいたらしいものある。よほど楽しかったのかな。

案の定というか、結局父は定年前に東京に転勤を希望してそのまま居着き、社会人大学だの何だのとふらふら遊んだ挙句に、故郷を離れたまま他界(これ、客死っていうの?死語?)した。

そんな父に付き合って故郷と東京を往復していた母も結局東京で老い、これまた何故か上京した妹と暮らしている。現世利益追求タイプの人たちからすれば「お金もないくせになにやってんのあの家のひとたち」だろうと思う。


母が一度友人か誰かに「住所不定なの」と少し自慢気に言っていたのを思い出す。東京と故郷をいったり来たりしていた頃だ。

そういう母はといえば、住所不定の割には普段は絵に描いた出不精でインドア派。移動のときの航空券とか自分で取れたりしてたのかな?ととても不思議である。

まあ、アクション全くともなわないが、魂に放浪癖を秘めていたってことか…。


また話飛ぶが、最近とあるトップブロガーさんの記事をめちゃくちゃ面白く読んだ。婚活の話から結婚生活、そしてまさかの離婚…筆力が素晴らしいので、まるで小説のよう。早く続き書いてくれーと思ってる私。

彼女は外国語も出来、あちこちの国で働くのも厭わない行動力抜群のひとなのだが、人生の目標としては「幸せな結婚」それだけを希求していて、実際そのために多くのものを捨てる。一見怖いものなしの冒険家なのに、魂はコンサバ。

人間とは本当にさまざまで複雑だ。


話ぐいっと戻すと、ま、そんな「ここではないどこか症候群」の両親に育てられた私もそういうところがあって、それは学校や職業選びに出た。

決断や選択のときに「何かの余地がある」方に手を出す。未来を決められるのがイヤ。息が詰まる。

選択のとき、安定とは違う方、違う方へと行き、ツブシがきくといえば美しいが要するに「プロになれない」。◯◯に向いてるねーと言われると脊髄反射的に「えー!そ、そう?そんなことないもん」と思ってしまう。

人生ここまで来てるのに、まだ自分に何か別のものを期待してるのか…なんか情けない。

ま、だが、そんな精神的放浪癖のせいか、買収した子会社に抵抗なく単独出向したし(結果は酷い目にあったが)、今は霞が関に出向している。たいてい第一号だ。ストイックなくせにそういう尻軽さが同居しており、見抜かれてるなと思う。


どこか素敵なところに行ける、知らない場所に連れてってくれる乗り物というもの。それを好きだ。


いつか、向こう側の世界に旅立つときには、何に乗っていこうかな。選べるのかな。

その時も私は「知らないところに行く」とうきうきできてるといいなと、心から思う。