望海風斗とドン・ジュアンと私① | Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

Gwenhwyval(グウェンフウィファル)の舞台日記

鑑賞は生中心主義。自分の眼でライブで見たことを中心に、語ろうと思います。

のぞみさんが出演した作品で何が一番好きか、と問われたら、未だに私はこう答えます。

伝説になるだろうファントム、オーシャンズ11という出世作、ルキーニという高名な役があろうとも。
 
「ドン・ジュアン」
彼女はその題名役。
 
初見1幕の幕が降りてきたとき、私は修辞ではなく、席から立ち上がれなかった。
そして思わず「これ、あと何回やるの?のぞみさん生きてるかな」と呟いてしまいました・・・誰に向けてというのでもなく。
それほどの熱量と技量の高さ、物語を紡ぐ力に両肩を掴まれて揺さぶられてしまってた。いや、両頬を張られたというべきか。
もちろん彼女の演技だけでなく、組子たちの気迫が熱波のように客席に侵入してきて・・・。
ちょっと怖いくらいだった。私は今何を見ているのだろうか?
 
普段から「私、ぼーっと見てるから」と、私の議論にあまり乗ってこない友人は「なんか、疲れた」と言った。
また別の友人は観終わってから「途中で望海さんのこと嫌いになりそうだった。嫌な男過ぎて」とも言った。
今思うと、どちらも妥当な賛辞と受け取るべきっだったのだと思うけれども、その時なんと返したのか、記憶にない。
 
私は
「ついに彼女は、その力量と個性に見合う作品に巡り合ったのではないか」
という想いに囚われていたのだと思います。
その瞬間に立ち会えているという、指が震えるほどの歓喜。
彼女の歌の力、ラテン系の濃い男臭さ。型重視のダンス(フラメンコのこと)。そうして、ファンが皆同意する「黒い男をやらせたら天下一品」(笑)な役作り。
それを、この作品の題名役は、すべて叶えていたのでした。
歓喜…歓喜だったのかな?
そう書いてしまったけれど、もっと相応しい言葉は「畏れ」だったかもしれない。私のようなものが、この光景に立ち会ってよいのかと。
 
そして望海風斗の退団会見で
「ドン・ジュアンをやったとき、もうこれで退団してもいいと思いました」
という言葉を聞いたときに、私はやはりそうだったの?と思った。そうだよね、私は「これで退団」なんてもちろん思わなかったけど、ああ、ここに辿り着いたと感じたの。それが、ドン・ジュアン。
私は単なるいちファンにしか過ぎないけれども、あなたもそう思っていたとは…。
 
もし再演してもらえるのならこれ!と、思い続けていた「ドン・ジュアン」。
それはまるで当然のごとく叶いませんでしたが、退団会見でのその言葉で、なんだか叶ったような気がした。
「ドン・ジュアン」には、あちこちから嵐のような賛辞が降り注いでいたけれど、私はそれでも足りないと思った。
宝塚の現役男役が成し遂げた、ある極北だと思った。
それは、宝塚というマイナーでもないが超メジャーではない団体だから注目されないだけで、本来はもっと評価されるべきプロダクションだと。
 
長くなるので、続きます。