雑話181「ゴッホ展」
今月19日まで京都市美術館で開催していました「ゴッホ展」の報告をいたします。
京都市美術館正面
この展覧会は、ファン・ゴッホが画家として大きく変貌を遂げた、パリ時代の作品に焦点をあてています。ファン・ゴッホが、1886年から1888年にパリで暮らしたこの時期には、作品研究の鍵となる弟のテオとの書簡のやり取りがなく、不明な部分が数多くありました。
本展では、パリ時代の絵画を展示するだけでなく、美術史的、また画材・技法に関しての最新の研究結果として、パリ滞在中に繰り返し行われた様々な造形的実験を分かりやすく紹介しています。
パリに来るまでのファン・ゴッホは、自分の芸術が軽薄なものと思われないように、色とりどりの色彩を使うのを好まず、むさくるしく暗い小屋が作り出す質素な環境で働く人々をよく描いていました。
フィンセント・ファン・ゴッホ「農夫の頭部」1885年3月
しかし、彼は自分の絵を覇気のあるものにしたかったので、主に明暗の強いコントラストを使い、労働者たちの小屋に強い光の効果を描きました。
ファン・ゴッホは、小屋の内部の人物や置かれたものが投げかける大きな影、あるいは窓から差し込む光を背にした人物像のとりこになっていたのです。
パリで画廊に勤めていた弟のテオは、この作品があまりにも暗すぎると酷評し、ファン・ゴッホも暗い色調の素朴で飾り気のない描き方でこのまま続けるのなら、成功のチャンスはほとんどないと悟りました。
経済的にテオに頼っていたファン・ゴッホは自力で商売し、評価を得るためには田舎から都会へ出る必要があるとし、ニューネンからアントワープへ、そしてパリに出ていったのでした。
モデルを雇えず人物画を描けなかったファン・ゴッホは、売れることを期待して、花の静物画を描くことにしました。その直接の手本となったのが、アドルフ・モンティセリでした。
フィンセント・ファン・ゴッホ「カーネーションを生けた花瓶」1886年夏
彼はこのプロヴァンスの画家の芸術から、鮮烈で時にけばけばしくもある色のタッチのみならず、様々な非常に偶発的な筆遣いによって絵具を厚塗りする技法も取り入れました。
1886-7年冬、ファン・ゴッホはトゥールーズ=ロートレックやエミール・ベルナールと知り合い、より近代的なやり方で美術の諸問題を解決するべく様々な実験を行いました。
前年の夏のような絵具の厚塗りとは対照的に、薄く塗られた画面には、線、輪郭線、ハッチング、筆触や点描が初めて見られるようになります。画風に関しても、荒々しさや激しい気性が影をひそめ、代わりに光と色彩が際立つようになりました。
ファン・ゴッホの新しい形式で描かれた典型的な作品が、このカフェの小さなテーブルを描いたものです。
フィンセント・ファン・ゴッホ「アプサンのグラス」1887年2月~3月
前景のテーブルと背景の通りはいずれも淡く薄い色で描かれており、それらに比べ縦仕切りの窓のついたカフェの正面壁が中景にはっきりと描かれています。
この作品で、ファン・ゴッホは孤独な酒飲みを主題に描いています。画面には、酒を飲む客の姿は描かれていませんが、客が絵の実際の題材なのは明らかです。なぜなら描かれているのは客の目に映る情景だからです。
一見何の変哲もない物体が大きく描かれた前景と遠くの景色とが互いに興味深い視覚的影響を与えあっています。
ファン・ゴッホは1887年の夏の終わりに、突然野外での写生をやめ、アトリエに引きこもって肖像画や自画像、とりわけ静物画に集中します。さらに、かつての表現を変え明るい彩度の色のみを求め、革新的な形式を用いるようになりました。
フィンセント・ファン・ゴッホ「グレーのフェルト帽の自画像」
1887年9月~10月
時には嵐に吹かれたような波のように筆跡を上下にうならせ、また時には平板な断片の色で塗りました。上の「グレーのフェルト帽の自画像」は、ファン・ゴッホが試行を重ねた時期に制作されたものです。
ここで試したことは、長く広い筆致を用い、様々な色味を加えていくことです。そうした色は、新印象派の色彩理論によれば、観る者の目の中で融合します。
この後光のような効果を最も掘り下げて探究したのが、この自画像です。ほとんど大袈裟ともいえる後光の色づかいと筆づかいは、自らの形式の限界を見極めるためのものです。
さらに、会場の後半には、作品を研究する上で参考となった様々な資料が作品とともに展示されていて、ファン・ゴッホの制作の秘密を見ることができます。
「ゴッホ展」は現在、宮城県立美術館(2013年5月22日~7月15日)にて開催中で、その後広島県立美術館(2013年7月22日~9月23日)に巡回予定です。




