雑話235「マネの加筆」
下の絵は、印象派創生期の画家たちの様子を描いた貴重な作品です。
フレドリック・バジール「バジールのアトリエ ラ・コンダミヌ通り」1870年
作者の名はフレドリック・バジール。この絵は彼らがしばしば集っていたカフェ・ゲルボワに近くに、バジールが新しく手に入れたばかりのアトリエを描いたものです。
バジールは自分のアトリエに集う友人たちを、打ち解けた雰囲気とともに描いています。
画面左では、詩人のゾラが階段の手すりによりかかって、テーブルの上に腰かけているルノワールに話しかけています。
中央の窓辺では、マネがイーゼルの上の絵を見ていて、その後ろからモネが煙草を吸いながら見ています。
バジール本人はパレットを手に、彼らの傍に立っています。
立派なアトリエのなかで寛いでいる画家たちは、一見優雅な暮らしを送っているかに見えますが、創生期の印象派の画家たちの暮らしは悲惨なものでした。
当時、絵が売れるためには、唯一の発表の場であるサロンの展覧会に入選する必要があったのですが、従来の絵画とは一線を画する彼らの絵画は、サロンの審査員の不評を買い、ほとんど入選することはありませんでした。
フレドリック・バジール「網を持つ漁師」1868年
この絵の左上のゾラの上にある「網を持つ漁師」や、中央右側にある「身繕い」もサロンに落選しています。
マネが眺めているイーゼルの上にある「村の眺め」は入選したのですが、バジールの姿でほとんど見えません。
フレドリック・バジール「村の眺め」1868年
実はこのバジールの姿だけ、バジールが描いたものではありません。バジールが仲間の肖像を描き終えたあと、マネがバジールから筆をとり、彼の肖像を描き加えたとされています。
何故、マネは高く評価をされたバジールの絵を隠してしまったのでしょう?
その理由は、マネがこの絵を認めたくなかったからではないかなどと言われていますが、バジールはこの絵を描いた1870年の普仏戦争に従軍し、ボーヌ=ラ=ロランドで戦死してしまいます。
ところで、印象派の画家たちのデビューともいえる第1回印象派展は、バジールの死のわずか4年後の1874年に開催されます。
マネが思わず隠してしまうほどの作品を描いていたバジールが、印象派の一員としてその後も活躍していたとしたらと思うと、早世したことがとても残念に思われますね。





