雑話251「晩年のターナー 狂気か革新か」
J.M.W.ターナーといえば、19世紀のイギリス美術を代表する風景画の巨匠です。
「雨、蒸気、速度」のような、移り変わる光や大気を描いた彼の作品は、印象派にも大きな影響を与えたといわれています。
J.M.W.ターナー「雨、蒸気、速度」1844年
イギリスの国民的画家ともいえるターナーですが、彼の晩年の評価は必ずしも高名な彼に似つかわしいとはいえない、どちらかといえば不名誉なものでした。
ターナーと同時代に活躍した芸術家たちから、晩年のターナーの作品は、老いぼれや狂人の作品だとして、取るに足らないもののように扱われていたといわれているのです。
J.M.W.ターナー「光と色彩(ゲーテの理論)、大洪水の翌日、創世記をかくモーセ」1843年発表
また、晩年のターナー、特に1845年以降は、精神的にも技術的にも衰えてきており、作品の質も低下していたので、大衆や批評家たちとの接触をあえて避けるようになっていたとされています。
そんな物議を醸しだした作品として、真四角のキャンバスに描かれた絵画群があります。
そのうちの一つ、同郷の画家サー・デイヴィッド・ウィルキーの埋葬を描いた「平和-水葬」は人生のもろさを主題とした魅惑的な傑作です。
J.M.W.ターナー「平和-水葬」1842年発表
制作当時、真四角のキャンバス作品は報道機関にこき下ろされました。
ターナーの心酔したファンで、初期作品の擁護者でもあった批評家ジョン・ラスキンですら、1846年に発表された真四角の作品は精神病の兆候を示しているといいました。
しかし、最近の研究者の間では、真四角の作品はいい意味で最も革新的な年に描かれたと考えられています。
J.M.W.ターナー「太陽の中に立つ天使」1846年発表
画業も終盤に入ると、ターナーは絵の展示を頻繁に行うことを止め、絵画の注文も減らし、実験的な作品が許される自身のための絵画制作に没頭していきました。
「平和-水葬」のように、もの悲しいテーマとくすんだ色調が特徴のターナーの晩年の作品は、老いた画家が死すべき運命と折り合いをつけようとして、芸術的な実験を行った結果であると解釈されています。



