雑話33「印象派の中の印象派・・・ピサロ」
モネやルノワールなど、現在印象派として有名な作家達も、実際にその画業を通して最後まで印象派として活動した者は少数派です。
カミーユ・ピサロ「自画像」1873年
そんな印象派の画家の中で、カミーユ・ピサロは生涯を通じて印象派であり続けようとした数少ない作家の一人です。
ピサロにとっての印象主義とは、作品の中に人の感情に訴えかけるような心理的・感情的な要素をなくし、モチーフが発する視覚的情報を下に表現しようとする科学的で客観的な芸術でした。
彼はその客観的な芸術を創造するために、自らの感覚に従って描くことを重要視しました。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー「モルトフォンテーヌの思い出」1864年
ピサロがその表現で大切にした要素は、パリに出てきた頃にバルビゾン派のコローに教わった”色彩の明暗を正確に把握する”ことでした。
彼はコローの教えを最後まで忠実に守り、その慎重に表現された明暗は平面的なはずの絵画に奥行きを与えました。
カミーユ・ピサロ「エルミタージュの丘、ポントワーズ」1867年頃
彼は一時期、新印象派と行動をともにし、印象派と決別していましたが、その理由も新印象派の手法である点描画の方が、彼の目指す客観的な表現をするのにより相応しいと判断したからです。
しかし、ピサロはすぐに点描画では表現が貧弱で単調になってしまい、彼の重要視する自らの感覚を表現する事が出来なくなるという新印象派の限界に突き当たり、ついには旧来の印象派の手法に戻ることになります。
確かに上の「エルミタージュの丘・・・」では日光の暖かさが伝わってくるような生き生きした表現になっているのに対して、下の「窓からの眺め・・・」では同じ晴れた日を描いたにもかかわらず画面全体がぼやけた印象になってしまっています。
カミーユ・ピサロ「窓からの眺め、エラニー=シュル=エプト」1886-1888年
晩年のピサロはそれまで描いてきた郊外や農村の風景の代わりにパリなどの大都市風景を描くようになりました。
それは、彼の目の調子がかなり悪く、かつてのように屋外で描くことが出来なくなってしまったからなのでした。
それでも、彼の描く都市風景では、華やかな大通りも薄汚れた下町の街角も誇張することなく、客観的な視点から描かれています。




