雑話83「鮮やかで神秘的・・・キスリング」
素朴派のようなスタイルで女性や静物画を描いたキスリングはエコール・ド・パリを代表する作家です。
モイーズ・キスリング「赤いセーターと青いスカーフの若い女性」1931年
多くのエコール・ド・パリの作家と同様、彼も芸術の都パリに憧れてやってきた異邦人芸術家でした。
キスリングはポーランド第2の都市で、かつての首都であったクラクフで仕立て屋をしていたユダヤ人の家庭の出身です。
クラクフの有名な中央広場
パリに出てきたキスリングはモンマルトルやモンパルナスの若い芸術家と知り合いになり、やがてキュビスムのサークルに接近していきます。
最初は彫刻家を目指していたキスリングにとって、3次元空間を2次元空間に表現するキュビスムは魅力的でした。
しかし、色彩による表現に魅力を感じていた彼にとって、色彩を極力排除しデッサンのみを重視するキュビスムとは相容れないものがありました。
モイーズ・キスリング「果物のある静物」1913年
実際に、キスリングがキュビスムの影響をもっとも受けていたと思われる1910年代前半の静物画でも、形態を描き出しているのはデッサンではなく色彩であり、色彩のみで画面を構築したセザンヌを思わせます。
必然的にキュビスムを離れていったキスリングは独自の道を歩んでいきます。
彼のキュビスム時代の複雑な画面構成は、しばしば色彩のために破綻していました。
そこで、キスリングは複雑な構成をやめて、対象の形態を単純なものに還元しました。すると、色彩の内包する感情的表現の危うさは、丸彫りの彫刻のように単純化された形態によって、バランスがとられました。
こうして色彩表現主義的な性格が形態によって抑制され、画面は奥行きを獲得しました。
キスリングはその表現方法を女性像と静物画において実践していきました。
モイーズ・キスリング「タチアオイ」1939年
暗い背景に浮かぶ色鮮やかな女性や花は、彫刻的な確固とした形を持っていますが、現世的な血肉は感じられません。
エッセンスだけを抽出されたモチーフは、移ろう世界を越えた神秘的な存在となり、普遍性を獲得したのです。
パリの狂乱の時代には、モンマルトルの帝王としてお祭り騒ぎの中心にいたキスリングでしたが、その画風はあくまでも静かで神秘的なものであり続けました。
