雑話91「ロートレック・・・モンマルトルの怪人」
ロートレックの作品と言えば、下図のようなレトロな雰囲気を持つポスターを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック「ディヴァン・ジャポネ」1892年
明るい都市生活を描いた印象派の画家とは対照的に、ロートレックは酒場にたむろする娼婦や踊り子を描きました。
しかも多くの場合、女性たちの顔は醜く歪んでおり、美人を描いたルノワールのような女性像とはまったく違います。
アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック「客に挨拶するイベット・ギルベール」1894年
実物よりも醜く描かれてしまったかもしれない彼女たちですが、実はロートレックの親しい知人でもありました。
イベット・ギルベールの写真
※上の絵のモデルとするとあまりにも気の毒ですね
フランスでも有数の貴族の血を引くロートレックは、幼いころから虚弱体質だった上に、2度の脚の骨折のために下半身の成長が止まり、一種の奇形的な体形でした。
そんな彼は華やかな貴族社会になじめず、画家を目指してパリに出てきます。
ロートレックの写真
※上半身が常人と同じ大きさだったため、下半身の小ささが一層目立ったそうです
画家仲間とパリの街を徘徊するなかで、ロートレックはさまざまな人種と欲望が渦巻くモンマルトルの歓楽街に自分の居場所を見つけたのでした。
ロートレックがモデルを実際以上に不気味で醜く描いたのは、彼には実家からの仕送りがあり、金銭的な心配がなく、モデルに媚びる必要がなかったからでしょう。
アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック「ムーラン・ルージュにて」1892-93年
また、自分の体形のために、貴族社会に居られず、歓楽街にまで身を落としたせいで、世間に対して斜に構えていたことも一因だと考えられます。
その後、有名な舞踏場”ムーラン・ルージュ”の宣伝用ポスターの制作を依頼されたことをきっかけに、ロートレックは次々と素晴らしいポスターを制作していきました。
アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック「ムーラン・ルージュのラ・グリュ」1891年
大評判となった彼のポスターは収集家が剥がして持っていくほどで、これがはじめて芸術作品と呼べる近代的なポスターとなりました。
こうして、彼のポスターや絵画の評価も上がり、モンマルトルに集うブルジョアから娼婦に至るまで、さまざまな人種と交流を楽しんでいたロートレックでしたが、過度のアルコール摂取から健康を害してしまいます。
アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック「ムーラン通りのサロン」1894年
※ロートレックは時折姿をくらましましたが、そんな時彼は数日間、数ヶ月もの間、娼家にこもって絵を描いていたそうです
作品の制作量は減っていき、頻繁に精神錯乱に陥るようになった彼は、治療のために一時は精神病院に監禁されたほどでした。
退院した彼は再び制作に対する情熱を取り戻しますが、その翌年にはまたもや健康状態が悪化してしまいます。
物忘れがひどくなり、極度に疲労した状態でも制作は続けますが、翌年の1901年に、実家で療養中に亡くなってしまいます。
まだ37歳の若さでした。
華やかであるはずの歓楽街を薄暗く、不気味に描いたロートレックですが、そこに彼自身の投影が潜んでたのではないでしょうか。
そう思うと不気味な彼の絵が物悲しく見えてしまいます。