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雑話92「ダリのミューズ・・・ガラ」

妻が創造の源泉になった芸術家の例は数多くありますが、シュールレアリスムの画家サルバドール・ダリにとってのガラは彼の芸術の源泉以上の存在でした。


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サルバドール・ダリ「記憶の固執」1931年

※恐らくもっとも有名なダリの作品


ダリがガラと出会ったとき、彼女はまだポール・エリュアールという詩人の妻でした。


ガラは夫と彼の仲間であるシュールレアリスムの芸術家たちとともに、スペインに帰郷したダリを訪ねてきたのでした。


ダリは出会ってすぐ恋に落ち、ガラはそのダリに答えるように、夫や他の仲間たちがパリに帰っても、ダリのそばに残りました。


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カダケス(スペイン)でのダリとガラ、1930年頃


普通なら考えられないガラの行動ですが、彼女はそれまでも恋愛には奔放な女性で、かつて同じシュールレアリストであるマックス・エルンストと夫との間で三角関係を結んだこともありました。


人妻とその娘と一緒に暮らすようになったダリは、父親と友だちから非難され、一旦ガラをパリに帰しますが、その後も関係は続き、そのせいで父親から勘当されてしまいます。


しかし、ダリと一緒になったガラは献身的であり、お蔭でダリは熱心に作品を制作できるようになりました。ダリのミューズであり、助言者だったガラはダリを守るために人を動かすことに長けていました。


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サルバドール・ダリ「自分の身体が階段と、1本の円柱の3本の椎骨と、空と、建築物になるのを見守る私の裸の妻」1945年


ダリも「わが秘められた生涯」という著書の中で、1929年にガラに出会ったことだけが自分の人生にとって意味あることだったとまで書いています。


実際、1982年にガラが亡くなると、ダリは悲しみと病気のためにすっかり落ち込んでしまい、ほとんど作品を制作しませんでした。


ダリの全てであったといえるほど存在感のあったガラですが、ダリにとっていい影響ばかりではなかったようです。


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サルバドール・ダリ「レダ・アトミカ」1949年

※多くの画家は自分の妻を実際よりかなり若く描きますが、このガラも相当若く描かれています


浪費家だったガラの要求にこたえるために、ダリは金銭目当ての仕事を次々とこなしました。お蔭でかつての仲間だったアンドレ・ブルトンからは「ドル亡者」などという侮辱的な名前を付けられてしまいます。


それだけなら単なる中傷に過ぎませんが、ダリは本来は数が限定されるべき版画に使われると知りながら、何万枚ものプリント前のリトグラフ用紙にサインするという「ダリ・スキャンダル」まで引き起こしてしまいます。


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「ドル亡者」を撮影中のフィリップ・ハルスマンとモデルのダリ


それらのせいで、ダリは亡くなる前から評判を落とし、美術関係者から軽蔑され、その業績を無視されてきました。現在では、その後の批評家や歴史化の研究、そしてダリ財団などの展覧会のお蔭で再評価されています。


決して美人ではなかったガラですが、ダリを初め様々な男性を魅了した彼女は魔性の女ともいえます。


一体どんな女性だったのでしょうか?ダリが生きていれば、是非聞いてみたいものですね。