雑話112「ルノワールのうき」
ルノワールの息子で映画監督だったジャンによると、ルノワールの人生哲学とは「水に浮かぶコルクのうき」のように生きることだったそうです。
ジャン・ルノワール
ルノワールは空軍に志願したいという息子に対して、運命を無理強いしてはならず、”うきが流れのまにまに動くように、人生を流れていくべきだ”と語りました。
実際、彼は画家になる前に磁器の絵付けや日よけ用の布に絵を描く仕事に就いたことも、それを辞めて本格的な画家を目指すようになったのも、すべてこの「うき哲学」に従ってきた結果だと思っていたようです。
ピエール=オーギュスト・ルノワール「自画像」1899年頃
しかし、これはルノワールが自分で決断することを避け、人生を成り行きに任せて、楽なほうに流されてきたということでもないようです。
なぜなら、ルノワールは自分の目指す道のためなら、敢えていばらの道を選択することもあったからです。
ピエール=オーギュスト・ルノワール「陽光を浴びる裸婦」1875年
※木漏れ日を受けて立つ裸婦を描き、光と影の効果を表現しようとした意欲作でしたが、肌の紫色の影の部分を腐った肉のようだと批判されました
もっとも有名な例は、彼がその画業の初期段階で、当時としては革新的な印象派の手法を取り入れたことでしょう。ご存知の通り、印象派の絵画はデビュー当時批評家から酷評を受けて、世間の嘲笑の的になりました。
それでも、ルノワールをはじめとする印象派のグループは彼らの目指す道をあきらめず、その道を究めようと努力を重ねた結果、その後の画壇における確固たる地位を確立することができたのです。
ピエール=オーギュスト・ルノワール「シャルパンティエ夫人と子供たち」1878年
※1879年のサロンで絶賛され、ルノワールの成功を確固たるものとしました。ルノワールはこの作品で、他の誰よりも優雅な室内と美しい装いからかもし出される詩的感興を表現するすべを心得ていると認められました。
ですから、彼のいう”うきのように流される”とは、自らができることに限界があることをわかった上で、自分のやりたいことや周りの状況を考慮し、もっとも無理のない自然な目標を見極めることだったといえるでしょう。
そして、ルノワールの自分自身と時代を見極める能力は、時代をリードする印象派の画家として、彼の才能を開花させ、ルノワールを歴史に名を残す大家へと導いたのです。
ルノワールは「うき哲学」について簡単なもののように述べていますが、それを実践するには鋭い感性が必要で、誰にでもできることではないでしょう。しかし、充実した人生を送るために、とても重要な能力だといえます。
我々も、ルノワールのごとく、「流れる水に浮かぶコルクのうき」のように生きたいものですね。



