晩年のピカソ
ピカソはそのスタイルを頻繁に且つ劇的に変えたことで有名です。
さて、下の4つの絵のうちピカソの描いたものはいくつあるでしょう?
答えを出すまで正解を見たくない方は4つ目の絵が見えたら、スクロールを止めて下さいね。
①
②
③
④
お分かりになりましたか?
答えはすべてピカソの絵です。
それぞれの絵があまりに違うので、とても同一の作家の作品とは思えませんね。
タイトルと制作年は以下の通りです。
①「パイプを持つ少年」1905年作
ばら色の時代の作品で、有名な「青の時代」の後のものです。
②「ダニエル=ヘンリー・カーンワイラーの肖像」1910年作
難解なキュビスムの時代の作品で、特に分析的キュビスムといわれているスタイルです。
③「海辺をかける2人の女」1922年作
新古典主義の時代の作品で、手足の太い女性や母子像を多く描きました。
④「ネックレスをした裸婦」1968年作
晩年のスタイルの作品で、それまでよりも自由な筆遣いが特徴です。
ピカソほど頻繁にスタイルを変えた作家はいないと思われますが、その理由の一つにその時付き合った女性の影響があるといわれています。
例えば、実験的なキュビスムの作品を描いていたピカソは、ロシア・バレー団の遠征に同行した際に、バレリーナだったオルガと出会い翌年に結婚します。
パブロ・ピカソ「安楽椅子のオルガ」1917年作
ローマで見たイタリア美術の影響とともに、ロシアの貴族の末裔だったオルガの、貴族の風格を感じさせる優雅さにインスピレーションを受けたピカソは、その画面を難解な前衛美術のものから、豊かで明快な新古典主義と呼ばれたスタイルへと変化させました。
しかし、オルガとの仲が冷えていくと、おおらかでダイナミックだった画面は不気味なものへと変化していきます。
パブロ・ピカソ「接吻」1925年作
そのシュルレアリスムの影響を感じさせる不気味な絵画は、次の愛人となるマリー・テレーズに出会うと、彼女の特徴であるふくよかで奔放な肉体を賛美するような女性像に変わっていったのでした。
パブロ・ピカソ「マリー・テレーズの肖像」1937年作
女性と恋愛するたびに、相手の影響を受けてその画風を変えたピカソ。実際、彼がスタイルを変えるのと同じくらい付き合う女性が変わっています。
ピカソが正式に結婚したのは前述のオルガと晩年に一緒だったジャクリーヌだけですが、愛人関係だった女性の数はわかっているだけで6人もいるのです。
ピカソにとっては恋愛と創作は同じ種類の欲望だったのかもしれませんね。