コロナ禍で子どもたちはどう変わったか? | ワンラン日記

ワンラン日記

愛知県岩倉市八剱町「ワン学習塾」の日記。
さらに、代表・犬童の「ラン日記」の二本立て。
2017年は記録足踏みも2018年こそ目指せサブ3!
BEST:10km…40:01 ハーフ…1:26:45 フル…3:10:55

一度このテーマは書いておきたかったんですよね。私が普段接している小学生~高校生は2桁の人数であることをふまえた上で実例を挙げながら感じていることを書いていきます。

 

1学期の終業式の日のことでした。3年生の児童が夕方にやってきて話しかけてきます。

 

「先生問題ね。今日私は学校で何があったでしょう?」

 

「え、何だろう?(私は1回目はワザと外そうと思った)今日で1学期が終わって明日から夏休みになる!」

 

「正解!何で分かったの?ヤバい!?」

 

本気で目を見開いて驚いています。児童は私に二人の小学生の子がいることは知っています。

 

「何で他人のことなのに分かったの?」

 

「えっだって、うちの子たち含めて小学生は全員が今日で学校が終わって夏休みだから」

 

「でも私のことじゃないじゃん!もしかしてズルした(不当に答えを知った)?」

 

「???」

 

授業が中盤になった頃、先ほどの会話に納得がいかなかったのか再び話しかけてきます。

 

「私が青組だった時の幼稚園の先生は誰でしょう?」

 

「え~さすがにそれは分からないなあ。あなたの通っていた幼稚園の先生のことは知らないから」

 

「だってさっきは私のことでも分かったじゃん!何でさっきのクイズは分かって今のクイズは分からないの?」

 

この時の私の表情はとても困惑していたと思います。これが4,5歳なら微笑ましいやり取りで済むのですが、3年生となると何とも不安なんですよね。

 

これは今年度で最も極端な事例ではありますが、これに近い「会話不全」「相手の立場を考えられない」ような小学生が増えている感覚が非常に強くなりました。

 

 

次はもう少し勉強の中身についての話題です。

小5,6の算数において速さや割合や比は鬼門ですが、よくこんな事が指導書に書いてあります。

 

「公式なんか使わなくても1分で100m進む人が2分になったら何mか?と訊けば誰だって答えられますよね。それを活用して応用させていけばいいのです」

 

実際に以前からよく使う指導手法です。しかし最近この説明が分からない小5,6が増えています。

 

「1分で100m進む人がいます」

 

この時点で顔が曇り、伏し目がちになります。

 

「2分になったら何mでしょう」

 

「。。。」

 

先日も割り算が苦手だという小5生とこのようなやり取りがありました。

 

「12個のお菓子があったとして半分ずつにしたら何個もらえる?」

 

「2個!」

 

「えっ12個もあって二人で分けるのに2個しかもらえないの?」

 

「あ~そうか1個!」

 

これらから感じるのは生活体験の欠如とリアルな会話の欠如ですね。コロナ禍を通して子どもたちの生活の至る所にデジタルデバイスが入り込みました。またそれは時代の流れであるために「是」と捉えられる場面が少なくなかったように感じます。証拠としてここに挙げた子たちは「ネットミーム」のようなものには非常に詳しいんですよね。

 

昨年の夏から秋頃に「ひき肉です」が小学生に流行りましたよね。正直大人の半数以上は何が面白いのか理解できなかったと思います。私も正直なぜ流行るのか理解に苦しみました。しかし一つの結論が出ました。

 

「全く意味をもたないから」

 

今の子どもたちには「全く意味がないもの」でなければ爆発的な広がりになりません。意味があれば考えないといけないからです。デジタルからの溢れる情報でスキマ時間を埋めている彼らにとって「意味を考える」のは不快で負荷のかかる動作になります。

 

以下のような会話も増えました。

「葬送のフリーレンが好き!」

「マッシュルが好き!」

こう話してくれる子はたくさんいます。

 

ただ

「どういう所が好きなの?」

「どういうお話なの?」

こう訊くと

「。。。」

「別に話は分からんけど何か好き」

 

コンテンツともこういう接し方が増えている感じがあります。

これが塾の現場から感じる「コロナ禍前後の子どもたちの変化」ですね。

 

新年度は小学生とはもっと会話を増やそうと思います。そして数年あまり突っ込んでこなかった「語句の使い方」「言葉遣い」などに指摘を入れていこうと感じています。

 

それくらい「経験不足」「会話不足」が目に見える形で出てきたと思うからです。