親戚の子の読書感想文指導 その3(終) | ワンラン日記

ワンラン日記

愛知県岩倉市八剱町「ワン学習塾」の日記。
さらに、代表・犬童の「ラン日記」の二本立て。
2017年は記録足踏みも2018年こそ目指せサブ3!
BEST:10km…40:01 ハーフ…1:26:45 フル…3:10:55

 

 

 

 ぼくは徳川家康についての本を読みました。戦国武将が好きなこと、どうする家康が放送されていること、去年は豊臣秀吉で感想文を書いたことが理由です。

 去年秀吉を読んだときに、死ぬ間際に家康に秀頼をたくす場面がありました。秀吉は勘がいいので家康が自分の後の天下を取る人間だと考えていたのだと思います。そして家康の性格を考えた時に、秀頼の敵になる可能性を心配しながら死んだのだと考えました。あの瞬間に秀吉は自分より後に生まれて、まだまだ元気な家康がうらやましかったと想像します。

 次に関ヶ原の戦いで敗れた石田三成の気持ちを考えました。前年に頼りにしていた前田利家が死んでしまいました。関ヶ原で三成が頼りにしていた仲間の武将が思うような働きをしてくれません。毛利や島津は全く動いてくれません。そして小早川秀秋は裏切って山を駆け下りてきました。対照的に家康の家臣である井伊直政や本多忠勝は士気高くどんどん攻撃してきます。この時に三成は家康がそれまでに積み上げてきたものの大きさに圧倒されたと考えます。今川家の配下にあった人質時代、主君が思わぬやられ方をした桶狭間、甲斐の虎に完ぷなきまでにやられた三方ヶ原。これらを生き延びてきた家康の経験値に三成は敗れたのだと感じました。

 つまり秀吉は家康の若さ、三成は家康の経験値をうらやましがりながら死んでいったのだと考えました。そしてそれを家康は十分理解する頭の良さがありました。家康はその後豊臣家に色々とケンカを売って、戦いの場に引きずり出そうとします。鐘に書いてある文字について文句を言う場面などは主人公でありながらひどいと思いました。でもそれは秀頼の若さが怖かったのでしょう。そして子の秀忠や孫の家光に少しでも安定した世の中でバトンタッチしたいと願ったのだと思います。家康は若いころに信康という子を信長の命令で失う経験がありました。その時の屈辱もあったのでしょう。だから秀頼と淀殿に残こくな仕打ちをしたのだと思います。

 僕は家康が戦いに強かったから天下を取ったのではなく、時代を読んで行動したから天下を取ったのだと思いました。特に若いころは負けも多く危なっかしい感じだったのが小牧長久手の戦いあたりからタイミングの良さが目立ちます。秀吉の寿命や利家の死、三成の若さなどを計算しながら動き、自分の寿命が尽きる前の年に豊臣家を滅ぼすタイミングに舌を巻きます。

 実は僕は自分が生まれてきた時代が運が悪いと思ってしまったことがありました。小学校の時に父が東京オリンピックのチケットに申し込んで抽選が当たりサッカーの試合を見られることになりました。それは初めての東京方面への観光でもありました。埼玉スタジアムで世界レベルの試合を見て、オリンピック開催中の東京の街を見られると僕は喜んでいました。近所のシルバーの方に前回の東京オリンピックを見に行った人からも話を聞きました。新幹線のこととか女子バレーの魔女の話とかをびっくりするくらい力を入れて話してくれたのは僕が小3の時です。

 しかし結局コロナの影響でオリンピックは延期になり、そして無観客開催になりました。サッカーの試合を見られないどころか東京方面に行くこともできなくなりました。父は残念そうに母は「仕方ないわね」シルバーのおじいさんは「とんでもねぇな」と怒ったような悲しんでいるような言葉をかけてくれました。僕はなんて運が悪いのだろうとメダル争いをしていたサッカー日本代表の静かなスタジアムのテレビを見て悲しくなりました。

 でも家康を読んでこの時の経験に対しての気分が変わりました。まだ桶狭間で負けて何とか逃げ切った家康のようなものじゃないかと思いました。長い人生で色々と自分を磨いて一生懸命過ごしていたらまたチャンスがやってくるのではないかと考えました。これから負けることや悲しいことも経験するかもしれません。でもそれを生かして自分の関ヶ原の戦いに勝利したいです。そして年を取った時に「子どもの頃のオリンピックは生で見れなかったけど、大人になってから見れてもっと幸せだった」と未来の子どもに話したいです。

 

前の年からの成長ぶりに驚きますよね。確かに前年に比べると大人3人が手伝いました。そしてパソコンで作成することで修正する手間や順番の変更が容易になりました。そして書く前に私と家康や秀吉の話ばかりではなくオリンピックを通した自分の経験についても話題が及びました。「秀吉は家康がまだ元気なのが羨ましくて、三成は家康が経験値をもっているのが羨ましい」この気付きは本人の口から出たもので私も非常に興味深く感じました。手伝ったとはいえ前の年よりも何倍も考えた、向き合ったという本人の感想が嬉しかったです。