憂鬱な朝と向き合う方法・・・囚われた時には
心が囚われてしまった時には、
よく見て、しっかり聞いて、嗅ぎ取って、
そして触れてみることだ。
人は一つの感覚器のみでは
何かを正確にとらえることに
失敗する。
囚われるとは、そのことだ。
考えが強迫的で、
行動が、何かに追い立てられるように
衝動性に満ちている。
一つの感覚のみに頼っては
心はバランスを崩す。
二つ以上の感覚器を働かせることで
「感じるとる」ことはうまくいく。
「ふたつ」とは左右でもある。
左右ふたつでバランスはとれる。
人の体は左右対称につくられている。
両手、両足、両目、両耳、
脳も左脳右脳ともうけられている。
地上で重力に従い生きるものは
自然にそう成り立っていく。
それは心にもあてはまる。
心は感覚によって形作られる。
感覚器は二つではない。さらに三つ、
全部で五感を備えている。
人は様々なことに囚われる。
それが苦悩するということ。
「孤独」もその中の一つである。
孤独に囚われた時には、
よく見て、よく聞き取り、匂いを嗅いでみる。
「感じとる」ことで、
囚われることから解かれて、
我にかえることが出来る。
「感じとる」ことがうまくなることは、
簡単には、つまづかない自由な心を
身につけること。
心は人にとって最も重要な器官で
あるからこそ、バランスよく進めるように
二足ではなく五つの足(感覚)を
備えているのだと考える。
憂鬱な朝と向き合う方法・・・違いを「感じ取る」
相手の返事、表情、事情を操作しようと
言葉や態度を選んでいくと、
表面的な会話、コミュニケーションになる。
ただ、形としてはうまくかみ合っている。
しかし、内面的には
中身の極めて薄いものになる。
血が通わないものである。
今、思っていることを口にする。
今、思っていることを態度に表わす。
これに相手は応えようとする。
自分が「感じていること」に対し、
相手が「感じていること」を
言葉にし態度にして応える。
そうなって初めて互いの
心のやりとりが始まる。
考え、意見、好み、都合、
そんなものすべてにおいて
予想しなかったことを言い表現する。
自分と相手とは違うことが
その時に心底わかる。
その時に、
会話、コミュニケーションに役割が生まれ
意味が生まれる。
違いを知ることが「感じ取ること」。
「感じ取ること」は
自分と外の世界との
「距離」をはかること。
投げ上げたボールはある「所」までで、
引き返し地面に落ちてくる。
永遠に上昇を続けることはない。
ボールと空の間には必ず、
「距離」が残る。空に吸い寄せられること
など決してありえない。
それが自然の姿なのだ。
それはものごとの
「限度」を教えている。
「限度」とは自分の
「できること」と、「できないこと」でもある。
自分の思っていることに対し、
相手は思っていることを伝えてくる。
そこで、自分と相手との違いが表面化する。
その違いをちゃんと見て、しっかり聞きとること、
正確に「感じ取る」ことが、
自分の中に基準を設け、それをもとに
相手との間に尺度が自然に形づくられる。
それが「距離」を置くことであり、
その「距離」の感覚が
今何が出来て、何をしなくてよいのか、
を教える。
それが本当の
ものごとの「限度」を知ることである。
憂鬱な朝と向き合う方法・・・障害として
「すがりつく言葉」「しがみつく振る舞い」は
継続するとやがて、
やめたくてもやめられなくなる。
非常に厄介な心の「ロック」である。
その発端は、ある対象から生理的な
心の働きを阻害され、さらに
「苦痛」を感じるように仕向けられることである。
その経験のあとは、「苦痛」を恐れる為に
自分の「意欲や願望」を直接向けられなくなる。
「感じていること」を言葉にすること、
「感じていること」を表現すること、
それを覆い隠す。
相手の意に沿うように「変換」してしまう。
これは、ことの成り行きをコントロールしているのだ。
相手の返事、表情、あらゆる事情を
自分の想定の中に収める。
そうやって何かを感じる「苦痛」を
回避しようとしている。
その間は感じることから逃げられる。
しかし、コントロールが上手くいかなくなる。
するとまた、「苦痛」を恐れ始める。
先回りをして、さらにコントロールを
強化させていく。
これが繰り返されることで
「ロック」がかかる。
これは生理的な心の働きを妨げる
「コントロール」が強化され続ければ
心の重い「障害」となっていく。
現実的ではない「感じ方」「感覚」を招き、
根付かせてしまう。
心配が度を越えていく。
終わったことが、いつまでも頭からはなれない。
訳もなく気が滅入ってくる。
突然気持が落ち着かなくなる。
急に人と会うのが怖くなる。
いつも誰かの視線を感じる。
誰かが自分の噂をしているように感じる。
自分が人よりひどく劣っているように感じたかと
思うと、ある時は一転して人を見下している。
裏切られたり、見捨てられたり、と感じることが多い。
重圧を感じやすく、よく息苦しくなる。
「すがりつく」こと「しがみつく」ことは
ことの成り行きの
<結果>を自力で操作しようと
もがくことである。
自分の周囲で起こるひとつひとつに
いたずらに関わり、そのひとつひとつに
責任を負わされることでもある。
心は周囲の人々に、密着してしまっている。
身の回りで起こる出来事に
休む間もなく気を取られ、翻弄されている。
自分と外の世界の間に「距離」を
置くことに失敗しているのである。
よく見て、聞き取って、正確に
感じとることで、外の世界との
距離ははかられる。
そこに「障害」があるのである。
「距離」を失い、当たりかまわず
周囲に関わってしまうことは、
自分を見失い、
自らを振り回そうと、していくことである。
