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まず人の養成を

■4月3日<松下幸之助一日一話>
最近では、サービスの大切さということがさかんに言われ、どういう商売でも、それなりの制度なり、体制というものを逐次充実させつつあると思います。そのことは大いに結構であり、必要なことでしょうが、その任にあたるサービス員の養成が十分でないと、せっかくの体制も、いわゆる画龍点睛を欠くということになって、魂の入らないものになってしまうおそれがあります。ほんとうにお客様に喜んでいただけるサービスをしていくには、やはり会社を代表して適切にものを言い、適切に処置ができるという人の養成、訓練を第一に大切なことと考え、その労を惜しまないということだと思います。

みずの日

京都市の清水寺をはじめとする全国の「清水寺」で作る「全国清水寺ネットワーク」が1998(平成10)年に制定。「し(4)み(3)ず」(清水)の語呂合せ。

4月3日の出来事

 604年:聖徳太子が十七条憲法を制定
1582年:織田信長が武田残党を助けた恵林寺を焼き、快川が「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」と唱えて焼死
1865年:アメリカ南北戦争で南部首都リッチモンド陥落
1868年:福沢諭吉が私塾を芝に移し、慶應義塾と改称する
1888年:雑誌「日本人」創刊
1911年:東京の日本橋が石橋に改築され開通
1927年:漢口の日本租界で中国民衆と日本軍が衝突
1928年:天理教会が不敬罪で大弾圧を受ける
1971年:毎日放送・NET(現テレビ朝日)にて「仮面ライダー」放送開始

いんげん豆

隠元豆の名は、日本黄檗宗の開祖となった隠元禅師が中国から持ってきたことからつけられたといわれる。そのため、隠元禅師の命日が1673年4月3日とされていることにちなんで、この日が「いんげん豆の日」とされた。

慶應義塾大学の成り立ち

■4月3日<今日の雑学>
1855年に緒方洪庵の適々斎塾に学び、塾頭となった福沢諭吉は、58年に藩命により江戸へ出、築地鉄砲洲に蘭学塾(のちに英学塾)を開いた。明治維新に際して68年4月3日、これを芝新銭座に移し、年号にちなみ慶應義塾と改称。71年に三田に移し、90年に大学部、98年に幼稚舎(小学校)や普通学科(中学校)を設置。一貫教育体制を整え、1920年、大学令で大学となり、理財科(経済学部の前身)は多くの財界人を送り出している。さらに44年には藤原工業大学を合併、49年に新制大学となった。現在は、文・経済・法・商・医・理工・総合政策・環境情報の各学部からなる。ところで、幕府の遣欧使節や軍艦購入使節に随行しているにもかかわらず、諭吉は不思議なことに官職にはついていない。これは自らの主義で明治政府への出仕を辞退したためで、その在野精神は現在の慶應大学にも受け継がれている。

日本橋開通

1911(明治44)年、東京の日本橋が木橋から石橋にかけかえられました。

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