慶應義塾大学の成り立ち | 気楽にト-ク

慶應義塾大学の成り立ち

■4月3日<今日の雑学>
1855年に緒方洪庵の適々斎塾に学び、塾頭となった福沢諭吉は、58年に藩命により江戸へ出、築地鉄砲洲に蘭学塾(のちに英学塾)を開いた。明治維新に際して68年4月3日、これを芝新銭座に移し、年号にちなみ慶應義塾と改称。71年に三田に移し、90年に大学部、98年に幼稚舎(小学校)や普通学科(中学校)を設置。一貫教育体制を整え、1920年、大学令で大学となり、理財科(経済学部の前身)は多くの財界人を送り出している。さらに44年には藤原工業大学を合併、49年に新制大学となった。現在は、文・経済・法・商・医・理工・総合政策・環境情報の各学部からなる。ところで、幕府の遣欧使節や軍艦購入使節に随行しているにもかかわらず、諭吉は不思議なことに官職にはついていない。これは自らの主義で明治政府への出仕を辞退したためで、その在野精神は現在の慶應大学にも受け継がれている。