気楽にト-ク -115ページ目

加藤茶

Happy Birthday
1943年3月1生まれ
加藤 茶(かとう ちゃ、本名:加藤 英文(かとう ひでゆき)、男性、1943年3月1日)は、日本の男性コメディアン・歌手・ドラマー・俳優であり、ザ・ドリフターズの一員である。血液型はAB型。通称:「加トちゃん」、「ヒデ坊」(コント中で「チャー坊」と呼ばれることもある)。
1964年、ドリフ内部のクーデターにより、碇矢と共にドリフに残り、新生ドリフを立ち上げる。新生ドリフ結成直後、当時所属していた渡辺プロダクションの先輩・ハナ肇に「芸事で飯を食っていこうとするのなら、水にかかわりのある芸名にしたほうがいい。お前は、みんなから、<加トちゃん>って呼ばれてるんだから、加藤茶にしなさい」と言われ、芸名が加藤茶となった。
現在「加トちゃんBAND」、「こぶ茶バンド」のメンバーを兼任し、お笑いだけでなく、ミュージシャンとしても活躍中。
いかりや曰く「ネタを積極的に出すタイプではなかったが、笑いを誘う間が良かった。ミュージシャンとしての才能、特にリズム感がお笑いでも生きている」。音楽活動やドラマ、トーク番組と今でも活動範囲は広い。
ドラマーとしての評価も高い。全員集合で披露した素晴らしい演奏は語り草である。
新生ドリフは、全員集合終了までソロ活動を行なわせなかったといかりやは語っているが、加藤のみクレージーキャッツの植木等と映画で共演していた。

御麺デ-

ご飯が少ししか無い昼時。
そこで、焼きそばを作る。
2人前作ったらリクエストは3人だった。
1名は夜も焼きそばでいいそうだ。
では、焼きそばとチャ-メンにしよう。
(具は同じで、半々にした)
焼きそば2人前は1人で食べたが、
カップ麺1人とチャルメラ1名のリクエスト。
チャ-メンはどうする?
私が2人前、食べるしかない。
(麺は麺でも御免デ-になってしまった)

グレン・ミラー

History recollection
1904年3月1日
グレン・ミラー(Glenn Miller, 1904年3月1日 - 1944年12月15日)はアメリカのジャズミュージシャン(トロンボーン奏者、作曲家、アレンジャー、バンド・リーダー)。 トロンボーン奏者としては目立たなかったが、1937年に自己の楽団を結成後、バンドリーダー、作編曲家として絶大なる人気を博し、42年の兵役まで多くのヒットを放つ。除隊後も精力的に慰問演奏を続けていたが、第二次大戦中の1944年12月15日に、ヨーロッパへ慰問演奏に飛び立った後、乗っていた専用機が英仏海峡で行方不明になり、12月18日戦死と発表された。(後の調査で、味方の爆撃機が上空で捨てた爆弾が当たり墜落したとわかった)
彼の死後も、残された楽団員がリーダーとなり、“(ニュー)グレン・ミラー・オーケストラ”として、現在まで世界各地で活動中である。
カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン等と共にスウィングジャズ/ビッグ・バンドの代表奏者に挙げられる。

第1回日本美術展「日展」開催

History recollection
1946年3月1日
日展(にってん)は、日本を代表する美術展覧会の1つ。名称は、「日本美術展覧会」の略であり、またその展覧会を運営する団体の名。
戦後の1946年には、文部省主催の「日本美術展覧会」(日展)として再出発し、1948年に日本芸術院主催、さらに1949年からは日本芸術院と日展運営会共催となる。そして1958年からは「社団法人日展」が運営者となり、これにより官展でなくなっている。1969年の展覧会のみ「改組日展」という名称だったほかは、1958年以後の名称は日展で統一されている。
最初期は「日本画」、「西洋画」、「彫刻」の3部門で、1926年から「美術工芸」が、1948年からは「書」が加わり、ほぼ美術の全領域をカバーしている。

ほんとうの勇気

<松下幸之助一日一話>
私は一般的に、ほんとうの勇気というものは一つの正義に立脚しないことには、また良心に顧みてこれが正しいと思わないことには、湧いてこないと思うのです。だから、勇気が足りないということは、何が正しいかということの認識が非常にあいまいであるところから出てきている姿ではないかという感じがします。人びとがそれぞれに自問自答して何が正しいかということを考える。そして、この正しさは絶対譲れない、この正しさは通さなければいけないという確固とした信念を持つならば、そこから出てくる勇気は、たとえ気の弱い人であっても非常に力強いものとなる。そういうような感じを私は持っているのです。

豚の日

1972(昭和47)年に、アメリカのエレン・スタンリー、メアリー・リン・レイブ姉妹が最も利口で役に立つ家畜の1つである豚への感謝を込めて制定したとされています。アメリカ合衆国の各地で、豚の品評会が行なわれます。

3月1日生まれの著名人

1445年:ボッティチェリ(画家)
1892年:「芥川龍之介(作家)
1893年:岡本かの子(小説家・歌人)
1904年:グレン・ミラー(ミュージシャン)
1933年:南田洋子(女優)
1943年:加藤茶(俳優)
1952年:峰竜太(俳優・タレント)
1968年:相楽晴子(女優)
1970年:中山美穂(歌手・タレント)

芥川龍之介は捨て子だった!?

<今日の雑学>
1892年3月1日、東京市京橋区入船町(現・中央区明石町の聖路加病院前)で、芥川龍之介は生まれた。昔の時刻の表し方で辰年辰月辰日辰刻に生まれたため、龍之介と名づけられた彼は、なんと生まれてすぐ近所の教会前に捨てられてしまった。といっても、父が後厄の43歳、母が大厄の33歳の時の子だったため、厄払いの風習に従ってあくまで形式的に捨てられただけだが。しかし、彼は結局、生後7カ月で本当に「捨てられ」てしまう。母が発狂したため男親だけでは育てられないということで、母の実家・芥川家で母の兄夫婦に育てられることになったのだ。その後、実父は実母の妹との間に男の子をなし、実母は龍之介が10歳の時に死亡。実父は龍之介を呼び戻そうとしたが、裁判の結果、実父は実母の妹と結婚し、龍之介は芥川家の正式な養子となった。

ビキニ・デー

1954年3月1日、アメリカが行ったミクロネシアのビキニ環礁の水爆実験により、静岡県焼津市のマグロ漁船第5福竜丸の全乗組員23人が被爆し、のちにひとりが死亡。この事件は「死の灰」と言う言葉を生み、8月6日には原水爆禁止署名運動全国協議会が結成された。その後、この日は「ビキニ・デー」とされ、反核の集会などが行われるようになった。

3月1日の出来事

1871年:東京~京都~大阪に郵便制度が発足
1911年:帝国劇場オープン
1919年:東京市内に乗り合い自動車(青バス)が開業
1932年:満州国建国を宣言
1934年:満州国に帝政が実施され、溥儀が皇帝となる
1938年:東京市内のタクシーがメーター制を採用
1941年:国民学校令を公布
1945年:硫黄島の日本軍が全滅
1946年:第1回日本美術展「日展」開催
1959年:フジテレビが開局
1966年:ソ連の「ビーナス3号」が金星に到着
1976年:韓国で金大中らが「民主救国宣言」を発表
1982年:テレビ東京をキー局とする初の系列局、テレビ大阪(TVO)が開局