気楽にト-ク -117ページ目

ちょとマネ-かい②(03月度)

経営関係もかじってみたい。

佐久間象山:生涯①

若年期に経学と数学を学ぶが、とりわけ象山は数学に興味を示し、熱心に学んだ。若年期に数学の素養を深く身に着けたことは、この後の彼の洋学吸収に大きく益したことは言を俟たないだろう。
その後江戸に出て、当時の儒学の第一人者であった佐藤一斎に朱子学を学び、また易にもこった。 天保10年(1839年)、江戸に私塾象山書院を開くが、ここで教えていたのはあくまで儒学である。多くの学者との交際の中で、西洋に対する認識はめばえつつあったが、この時期の彼はまだ伝統的な知識人であった。
ところが象山の仕える松代藩の状況が大きく変化し、天保13年(1842年)には藩主真田幸貫が老中兼任で海防掛に任ぜられた。隣国の清が1840年のアヘン戦争で敗れ、イギリスに屈したという生々しい情報が入り、幕府全体が大きく緊張した時期である。
藩主幸貫は洋学研究の担当者として、既に藩内きっての俊才と名高い象山に白羽を立てた。そこで象山は幕府の韮山代官で洋学に見識が深く、既に海防に実績を挙げていた江川英龍(太郎左衛門)の門下に入り、兵学を学んだ。 温厚で思慮深い江川は、傲慢であくの強い象山のことが嫌いでたまらなかったようだが、ともかくもここで兵学の素養を身につけ、藩主幸貫に「海防八策」を献上、高い評価を受けた。

ちょとマネ-かい①(03月度)

経済関係もかじってみたい。

佐久間象山

History recollection
(1811年2月28日生まれ)?
佐久間 象山(さくま しょうざん、男性、文化8年2月28日(1811年3月22日) - 元治元年7月11日(1864年8月12日))は、幕末期の兵学者・思想家。号の読みは「ぞうざん」とも。信州松代藩の下級武士の出。通称は修理、諱は国忠で、佐久間家は平姓だったので、象山の正式な名のりは、平国忠(たいら・の・くにただ),諱はのちには啓(ひらき)、字は子迪・子明と称した。

しゃぶしゃぶのたれ

今晩はしゃぶしゃぶにしよう。
肉は買ったがタレを忘れる
仕方が無いので焼き鳥のタレを絡める。
(ちょっとしつこ過ぎました)

感謝の心は幸福の安全弁

<松下幸之助一日一話>
感謝の念ということは、これは人間にとって非常に大切なものです。見方によれば、すべての人間の幸福なり喜びを生み出す根源とも言えるのが、感謝の心とも言えるでしょう。したがって、感謝の心のないところからは、決して幸福は生まれてこないだろうし、結局は、人間、不幸になると思います。感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。つまり、幸福の安全弁とも言えるものが感謝の心とも言えるわけです。その安全弁を失ってしまったら、幸福の姿は、瞬時のうちにこわれ去ってしまうと言ってもいいほど、人間にとって感謝の心は大切なものだと思うのです。

柴田方庵

全国ビスケット協会が1980(昭和55)年に制定。1855(安政2)年のこの日、柴田方庵が日本初となるビスケットの製法を書簡に記したことに由来しています。

2月28日生まれの著名人

1533年:モンテーニュ(思想家)
1833年:ヒルティ(法学者・哲学者)
1852年:高村光雲(彫刻家)
1890年:ニジンスキー(舞踏家)
1892年:福田平八郎(日本画家)
1926年:菅井きん(女優)
1930年:二谷英明(俳優)
1953年:村下孝蔵(歌手)
1961年:田原俊彦(歌手)
1978年:菊川玲(女優)

2月はなぜ日数が少ないか

<今日の雑学>
ほかの月は30日か31日なのに、なぜか2月だけが28日(29日)しかない。31日ある月を減らして2月も30日にしてもよさそうなものだが、これには歴史がある。現行の「グレゴリオ暦」は、ユリウス・カエサル(シーザー)が作った「ユリウス暦」がもとになっているが、それ以前のローマ暦では、現在の3月が年始めの月で、2月が最終月になっていた。そこでカエサルは改暦にあたり、3月から順に各月の日数を31日と30日に定め、最終月の2月は29日(うるう年は30日)としたのだ。さらにユリウス暦で8月(セクスチリスの月)は30日だったが、カエサルが死んでアウグストゥスが皇帝になると、彼は8月を自分の名にちなんでアウグストゥスの月として、2月から1日とって31日としてしまった。それで2月は28日となったというわけ。

2度焼かれたもの

ビスケットの日
ビスケットの語源は、ラテン語で「2度焼かれたもの」の意味で、昭和55年に柴田方庵の史実と考えあわせて決められました。