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桜前線は気象用語ではない?

■3月19日<今日の雑学>
そろそろTVなどで「桜前線」が話題にのぼるころ。桜前線は、すみれ前線、桃前線などとともに「花の前線」のひとつ。ただ「前線」などというと、いかにも気象の専門用語のようだが、実は気象庁の公式用語ではない。1963年に気象庁のお天気相談所がマスコミのために作った言葉で、本来は「開花(満開)等期日線」という。春になると全国の気象台が桜の予想開花・満開日を発表するが、これらの日のところを1本の線でつなぐと天気図の梅雨前線などに似ているためにこう呼んだ。基準にする桜は本州ではソメイヨシノで、2月から3月の気温をもとにして開花と満開の予想日の桜前線を引く。桜の開花には数百年間の記録もあり、気候の変遷を知るのに便利で、昔は農民がその年の稲の実り具合を、桜の咲きぶりで占ったという。花見も本来は暮らしに密着した神事で、花の下で酒を酌み交わすのも、それに付随した神聖な行為に由来する。

ミュージック

「ミュー(3)ジック(19)」という語呂合わせから1991年3月19日よりスタート。クラブやミュージック・パブなどで演奏するミュージシャンの存在をアピールし、活動の拡大振興を図るのが目的。

アカデミー賞

1927年のこの日、アメリカで映画芸術科学アカデミー(AMPAS)が設立された。

3月18日生まれの著名人

1452年:アメリゴ・ベスプツチ(探検家)
1842年:マラルメ(詩人)
1844年:リムスキー・コルサコフ(作曲家)
1858年:ディーゼル(技術者)
1944年:横山やすし(漫才師)
1950年:奥田瑛二(俳優)
1955年:島崎俊郎(タレント)
1959年:リュック・ベッソン(映画監督)
1962年:豊川悦司(俳優)
1963年:ヴァネッサ・ウィリアムズ(歌手)
1969年:芳本美代子(タレント)
1976年:大家友和(野球選手)

年功序列と抜擢

■3月18日<松下幸之助一日一話>
それぞれ長短のある年功序列、抜擢をどのように行なっていくかということは、それぞれの企業の実態、情況により一概には言えないと思うが、私自身について言えば、だいたい年功序列七十%、抜擢三十%というような感じでやってきた。これが反対に年功序列三十%、抜擢七十%になると非常に面白いと思うのだが、それはやはりまだ先のことで、今日の日本においては、年功序列を主体としつつ、そこに適度に抜擢を加味していくことが無理のない姿だと思う。しかし考えてみれば、抜擢の何十%かは賭けである。だが、ときにはあえてその冒険をおかす勇気を持つことが、企業発展の上で求められている時代であると思う。

3霊人

柿本人麻呂、和泉式部、小野小町の3人の忌日がこの日であると伝えられていることから。

3月18日の出来事

1848年:ベルリンで暴動。3月革命
1871年:パリ市民が蜂起。パリ・コミューンの発端
1945年:国民学校初等科を除き授業1年間停止決定
1946年:警視庁が婦人警官を採用
1953年:鳩山一郎らが民主自由党から分かれて自由党を結成
1958年:文部省が小中学校の「道徳」の実施要綱通達
1962年:フランスとアルジェリアが停戦協定締結
1964年:早川電機(現シャープ)とソニーが初の電卓を開発。1台50万円
1965年:愛知県犬山市に博物館明治村が開村
1965年:ソ連がヴォスホート2号で人類初の宇宙遊泳
1989年:パリフィギュアスケート選手権で伊藤みどりが日本選手初の優勝
2000年:兵庫県津名郡淡路町と東浦町(現・淡路市)で淡路花博が開幕

明治にふれる

■3月18日<今日の雑学>
1965年3月18日、明治建築の保存と公開を目的として愛知県犬山市に「明治村」が開村した。明治村は名古屋鉄道株式会社社長・土川元夫と建築家・谷口吉郎の協力で、62年より組織された財団法人により、名古屋鉄道所有の土地に明治建築を収集、移築したもの。聖ヨハネ教会、旧帝国ホテル、三重県庁舎、夏目漱石の家から、長崎や神戸の異人館、灯台、天主堂、芝居小屋、小学校、牛肉店、医院など、現在では50以上の建築物が森や湖のある100万平方mに及ぶ広大な土地に点在。日本最初のチンチン電車や汽車がその間を縫って走っている。ここでは、明治という時代がどのようにして始まり、どのように展開したのか、また、そこに生きた人々がどのような生活をしていたかを建物を通して見つめ、この手で確かめてみることができる。

精霊

柿本人麻呂、和泉式部、小野小町の忌日がこの日であると伝えられていることから生まれた日。

修養に場所を選ぶな

■3月17日<松下幸之助一日一話>
人は若い間の心がけのいかんにより、後にずいぶん差の生ずるものである。もし若い時代に自己実力の養成に励まず、修養に努めなかったならば、必ず後年、後悔するときがくると思う。しかるに若い人の間で「この仕事は自分の性分に合わない、あの主任の下ではどうも働き甲斐がない」と、不足をもらす人がある。これは自己中心の物の考え方の弊害であろう。真に自己の適所を見出すまでには、いろいろな経験を積まなければならない。また性格、意見の異なった指導者の下で自己を磨くことによってこそ、かえってよりよく修養が得られるものであることを、深く知らなければならないと思う。