障害児の親は不幸か | 一人息子は会話のできない自閉症~ときどき不妊治療~

一人息子は会話のできない自閉症~ときどき不妊治療~

いや、まだ一人息子と決まったわけじゃないけど。息子6歳。一往復の簡単なコミュニケーションはできます。会話できませんがエコラリアは天下一品。障害児育児と不妊治療の愚痴を綴った本音ブログ。

 

 

 

 

 


今日は、小学校の特別支援学級新1年生の保護者会でした。


 

コーディネーターと言われる職員さんと校長先生と私とで


いろいろ学校のことについて説明をして頂きました。

 


新1年生で支援級はやはり息子だけ・・ニヤニヤ


うちのために校長先生まで出席してもらって恐縮です・・って感じでした。

 

 

今日の校長先生も

「身内ながらも支援級のサポートはしっかりしている」と語っていました。

 


以前、支援級の先輩ママに話を聞いた時も

「支援級に対して文句がない。先生には本当によくしてくれている」と言われていたし


今日の説明会でも安心して息子を通わせられる環境だなと思いました。

 


障害児の親は不幸ではない

最近思うことは上矢印コレです。

 


もう長い長い真っ暗なトンネルをやっと抜けた感じでしょうか。

 

 

息子が診断されるまでのモヤモヤ期


診断されてからの暗黒期を乗り越えて


今では障害を含めて、息子という存在を受け入れられるようになりました。

 

 

自分の息子が障害があると知ったとき

 

 

「欠陥のある子を産んでしまった」

「息子の存在が恥ずかしい」

「なぜ私が」

 

 

そんな思いもありました。

 


でも、時間が私の心境を変化させてくれたのか


息子の魅力が私の心を変えたのか

 


少しずつ障害受容ができるようになりました。

 



息子が障害児だからといって私は不幸ではありません。

 

 

むしろ、今まで知らなかった世界を


もっと広い視野を


大切な物事の本質を教えてくれたように思います。

 

 

もしかしたら、障害の重さや障害の種類によっては

受容までもっと時間がかかったり


もしかしたら受容することなく人生を終えることもあったかも知れません。

 

 

 

ひとつ確実に言えることは

 

障害児をもつ親は必ず苦労はする

 

ってことです。

 

 

その苦労を不幸と捉えるなら苦労が続く限り不幸も続きます。

 


しかしながら

障害児をもった親が不幸かどうかを決めるのは、その親次第であると思います。

 

 

私の中で一つのターニングポイントとなったのが

年少の頃に付き添い入院した経験でした。


 

それまでも少しずつ障害受容は進んでいたと思うのですが

この体験が一気に受容へ拍車をかけました。

 


息子がかわいいと思うのは親ばかだからだと思っていたのが


病院で看護師さんや、多くの入院患者から(他の年の近い定型の子たちよりも)大変可愛がられていた息子を見て


これは彼の魅力なんだと思いました。


障害があっても魅力がないわけではないと。

 

 

未だに息子のエコラリアにいちいち付き合ったり


外で誰かと話をするときにフォローしたりしなければならないのは

正直めんどうではありますが

 


以前のように

息子を恥ずかしい存在、隠したい存在だと思わないようになってきました。

 

 

そして、以前では考えられなかったくらい

運動面・言葉の面で息子は成長しました。

 

 

そういえば最近息子のオハコのオウム返しを聞いていませんセキセイインコ黄

 

 

 

悟りを開いた障害児の親御さんで

「こどもに障害があってよかった」という人もおられるそうです。

 

 

さすがにその境地には至っていないのですが

 

息子に障害がなければ、このユニークな性格と

ピュアな心はなかったかもしれないと思います。

 

 

もし、発達障害で我が子のことで悩まれている方がおられたら

こういう人もいるんだなと参考になれば幸いです。