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最近良く耳にする「オノマトペ」という言葉をご存知ですか?

「オノマトぺ」とは、擬声語・擬態語のこと。
(わざわざカタカナ英語にしなくても日本語でいいじゃん!と思うんですけど^^;)

先日も世界一受けたい授業 で、国文学者の山口仲美先生によるオノマトペの授業があった。
日本語のオノマトペは、欧米言語の3~5倍あるといわれている。

これは、日本人の感覚・感性が優れているとも云えるけれど、逆に言えば、日本語は理論的でなく、言語による説明よりもオノマトペに頼りがちなのではないか、ということでもあると思った。

日本語は含みや余韻があって大変奥深く美しいものだとは思うけれど、反面、ボキャブラリーの少なさの為に多くの誤解を生むことも確か。
今までは、単一民族、島国の為に、日本語の意思疎通による弊害といえば、方言くらいのもので済んだが、世界がグローバル化してくると結構弊害も出てくる。

日本人が世界の中でも特に英語に弱い人種とされているのは、このボキャブラリーの少なさに原因があるのではないかと思っている。

例えば、「きれい」という言葉には、美しい、清潔、整理された、整然とした、潔白、無垢などの意味があるが、英語では、「きれい」の中の一つ一つの意味に厳格な定義があり曖昧さがないので、ボキャブラリーはイヤでも増えていくし、パズルを当て嵌めるようにピタッと言葉と状況が当て嵌まらなければならない。これが慣れるまで、頭の中で探すのは大変なことである。(汗)

「きれい」の中の「美しい」という意味だけでも、beautiful, pretty, neat, fresh, cosmetic, fine, gloss, nice, lovely, good looking, clear, bright, fairest, pure, handsome, junoesque , stunning, wonderful, shaped, rosy...などがあって、全部「きれい」という意味だから、どれを使ってもイイやと言うものでもない^^;。どれにしようかな♪なんて考えているうちに会話が終わっていたりする。(爆)

おおっと!

また話が脱線してしまった。(許)

で、番組を見ていて面白いと思ったのは、動物の擬声語。

チュニジア・・・「クッククックー」
タイ・・・「エキエッエー」
中国・・・「コッココー」
アメリカ・・・「クックドゥードゥルドゥー」
フランス・・・「ココリコ」
イタリア・・・「キッキリキー」

ニワトリの擬声語だけでも、国によってこれだけ違いがあるらしい。(驚)

私は英語しかわからないけど、英語での動物の擬声語を挙げてみよう。

牛 「ムー」

豚 「オインクオインク」

鶏 「クックドゥードゥルドゥー」
蛙 「リビッリビッ」

山羊 「バアア」

犬 「バウワウ」

猫 「ミャウ」

ねねね、変だよね^^!

山羊に「バアア」なんて鳴かれたら、トイレットペーパーを一巻き食わせたろか!と思っちゃうし^^;。
犬も「ここ掘れ、バウワウ!」なんて言われたら、「オマエが掘れ!」と言いたくなるかもしれない。(笑)

マリリン キャンベル, 中山 兼芳, 内野 花音
たのしい英会話・日本むかし話〈10〉はなさかじいさん




閑話休題

さてさて、実は我が家も「オノマトペ一族」である。

の会話

「これはな。
ここをぽちっとするやろ、そうするとこっちがかちゃっとなるから、ここをぴこぴこして、次はこっちをうい~んと好きなようにすればええんやで」

「えええ?全然分らないんだけど(泣)」

「まったく、ぐたちゃんは新製品に弱いんやなぁ」

そういう問題ちゃうやろ!
もっと日本語の勉強してくれよ。(号泣)

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どうもこれは血筋らしい。



先日、しうとめだす♪から電話があった。。。

「ぐたちゃんに今度会うときな、あれ持って行きますわ、あれ♪」

「はあ。。。」

「ほら、あれやあれや、ぐたちゃんの大好きな。
なんちゅうたかな、ぴろ~んとしてちいちいと焼いてな、あちちちと裂いて、くちゃくちゃするあれや!」

「ああ、スルメですか?」

「そやそや、スルメやった!(笑)
ぐたちゃん、賢いなあ^^♪」

そそそんなことで褒められても。。。
(しうとめだす♪は人を褒めるのが趣味でござる)

おおおかあさま、だいじょぶやろか。(泣)


とはいうものの、
昔から「あ・うん」の呼吸とか「以心伝心」とか言うように、親しい仲ほど言葉は要らなくなるものらしい。

そういう点では、私はまだまだ袋小路家の嫁としては未熟ものである。



山口 仲美
犬は「びよ」と鳴いていた―日本語は擬音語・擬態語が面白い


☆☆☆☆

向田 邦子
あ・うん b-red

仮面

以前、三島由紀夫の「仮面の告白」 について感想文を書いたが、猪瀬直樹の「ペルソナ」 を読んで、少し考えが変わった。

三島由紀夫、父親・平岡梓、祖父・平岡定太郎ともに官僚出身の一家である。
三島は官僚の中でも、エリート中のエリート集団、大蔵省を僅か9ヶ月で退任している。
理由は、小説家として生きてゆくため。

私たちは現在の位置から、作家・三島由紀夫を見ているが、まだ文壇デビューを果たしていない23歳の男が、大蔵省に入省したばかりで退職するという事実。これは大変なことである。
よほど自分の文学的才能に自信があったのか。

当時の平岡家は、父・平岡梓はすでに定年退職しており、年金生活を送っていた。 経済的にもけっしてゆとりがあるとは云えず、作家デビューは背水の陣だった。(註:本当の処女作は14歳の時に書いた「酸模(すかんぽ)」)
そのため、三島は川端康成に協力を仰ぎ(註:川端康成は男色との噂もある)、出版社にも露骨なまでの様々な下工作をしている。

彼は非常に「強い意思の人」であり、目標を掲げ、綿密に計画を立てて行動に移すタイプの人間である。しかも、背水の陣の実質的なデビュー作が、自分の同性愛嗜好を告白した「仮面の告白」である。 これは、世間の注目と話題を得るための計算された作品という見方も多少あるが、私なりの仮説を立ててみた。

それは、三島自身の平岡家に対する復讐。
自分に流れるふた筋の血への復讐。

三島の祖父、平岡定太郎は、兵庫県の農民出身だったが、定太郎の両親共に教育熱心で、経済的にもゆとりがあったため、東京帝国大学に遊学することが出来た。そして、内務省に入省。平民宰相と謳われた原敬総理大臣に仕えた画、疑獄事件を起こす。

定太郎の息子、平岡梓は凡庸な才能ながらも、同じく帝国大学から官僚の道を目指し農商務省入省。可もなく不可もなく官僚的生活を勤め上げて定年退職する。

その一人息子、平岡公威(三島由紀夫)もまた、東京帝国大学を卒業して大蔵官僚になった。

三代続いたという点では、理想的な官僚一家である。
しかし。。。
決して幸せとはいえない結婚生活を送った祖母・夏子に偏執的な愛情を注がれ育てられた三島は、男性として去勢されたようなコンプレックスによって、同性に性的興奮を示すようになる。

家庭を顧みなかった祖父。
その欲求不満を三島によって晴らそうとした祖母。
祖母の言いなりだった父。
遠くから眺めることしか出来なかった母。

そして長男であり、平岡家の跡取りである自分は。。。
つまり、農民出身から三代続いた官僚一家という誉れをつき壊すこと。
それも、「仮面の告白」という、もっともスキャンダラスで恥ずかしい方法で。

しかし、意に反した結果となった。
「仮面の告白」は、大ヒットとなってしまったのだ。

その上、それまで作家になることに大反対で、嘆くとばかり思っていた父・梓はまったくの俗人で、作家としてデビュー出来ると知ってからは、手の平を返すように三島に迎合する有様だった。

三島が死を意識しだしたのは、いつ頃からだろうか。

全作品を通じて、三島由紀夫に関するさまざまな研究・分析がなされているが、どれもこれも死を予感させているようにも見えるし、ただの文芸作品のようにも見える。その有様は、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」のようでもある。

しかし、私が注目したいのは、三島の死に様である。
陸上自衛隊駐屯基地で死んだということは、とりもなおさず官僚国家における武士の巣窟で死んだということである。

ここで、三島は生涯、自分自身の生活基盤となったものを創り出してくれた祖父・平岡定太郎が農民出身であったことをどこにも記述していないことに注目したい。
自分に流れている農民の血。
それをあくまでも否定したかったのだろうか。
自分の血を否定するからこそ、死に急ぐほかなかったのだろうか。
農民とは程遠く位置するようにみえる近代官僚機構の中の武士の巣窟で。
武士だけに許された切腹という方法で。

それは、自分の血を否定した者への神が与えた罰のようにも思えてしまう。

結局、三島は官僚として生きることを早々に止めてしまったが、死ぬまで官僚という呪縛からは逃れることが出来なかったようにみえる。
そしてサムライではなく武士という呪縛からも。

そして割腹自殺。
だから割腹自殺。

しかし、もっとも武士道らしき最期も、私には腹心・森田必勝を伴った心中にしか見えない。
三島は最後の最期まで、自己陶酔の中で昇天したに違いない。

武士ならば、たった独りで死んでみよ。



編集後記
これは、あくまでも三島由紀夫の意識の上には昇らない仮説である。三島自身も気づいていない、潜在的な意識ではなかったか、と私は自分勝手な想像を逞しく巡らせてみた。(笑)
長いあいだ、三島由紀夫関連記事にお付き合いくださり、ありがとうございました^^。(感謝)


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第四章 時計と日本刀

いよいよ最終章は、三島由紀夫が「盾の会」を結成して、割腹自殺をした晩年を語る。

三島事件とは、
昭和45年(1970年)11月25日
陸上自衛隊東部方面総監室にて、「盾の会」会員4名と共に益田総監を監禁・篭城。憲法改正のため自衛隊の決起を呼びかけたが、賛同者がなく失敗に終わり同所で割腹自殺した事件。

三島由紀夫は好きな作家というよりも、その文学的才能に感嘆しているだけで、はっきり言って、陸上自衛隊に乗り込んで切腹した三島由紀夫には興味が無い。

イデオロギーには興味が持てないし、三島事件の檄文も事件の結末も、滑稽にしか見えない。

戦争や革命で国家が揺らいだ時、右派と左派に別れるのは必然である。

太平洋戦争によって、天皇を含む既存の価値観がすべてひっくり返ってしまった日本。
日本人にとって、まして多感な青春期を戦争中に過ごした人間にとっては特に、新しい価値観に対するジレンマがあっただろう。

犬猿の仲であった三島由紀夫と太宰治は、片や尊皇、片や共産主義に足を突っ込みながら、それぞれに国の行方を憂い、戦後の日本人の精神的堕落を嘆いていた。

個人の思想的な問題なので、それはよしとしよう。

しかし、それを戦後25年も引きずって死ななければならない理由にはなるまい。

三島らしからぬ陳腐な檄文を読んでいると、さまざまな論理は口実であって、実は華々しく格好よく、彼なりの美意識の中で死んで生きたかっただけのように見える。

結局、三島由紀夫は平岡公威に殺されたのだ。


そして最後は、平岡定太郎、梓、公威と三代続いた官僚一家のすえとして死んだように思えてならない。


歴史というものには、神の悪戯としか思えない「偶然」が必然をもって起こるものだが、次の事実は、三島由紀夫の悲劇を喜劇に変えたかのようで、背筋が寒くなるような話である。

<三島はほぼ計画通りに自衛隊を舞台に劇的な自決を遂げた。だが自衛官たちにあれほど野次られるとは予想していなかった。三島は気づいていなかったが、十一月二十五日に第三十二普通科連隊は百名ほどの留守部隊を残して、九百名の精鋭部隊は富士演習場に出かけて留守だったのである。三島は、森田の情報で連隊長だけが留守だと勘違いしていた。バルコニー前に集まった八百名は通信、資材、補給などのどちらかといえば三島の想定した”武士”ではない隊員だった。>

もし、何事にも用意周到なはずだった三島の「勘違い」がなかったら、割腹自殺は成就されなかったかもしれない。
しかし、歴史に「もし」はない。



小説家というものは、多かれ少なかれ、波乱万丈の特異な人生を送るものである。
しかし、太宰治と同様、何故人々がこれほど興味を持ち、現在でも人気が衰えないのは何故なのか。
その謎は、どの研究書にも解き明かすことが出来ないようにみえる。

***

様々な三島研究または、関係者の証言があちこちで伝えられているが、これほど広範囲に亘って、総合的に徹底調査された文献は本書が初めてでは無いだろうか。

そういう意味で、多少の欠点はあるものの、三島研究としては大変貴重な一冊だと思う。 私的にも、大変楽しめた本であるが、☆☆☆☆に止めたのは、惜しいことに著者の文章力である。

・あくまでもルポに留めて、著者の個人的な感想は極力避けたほうが良かった。
・著者が自身を「僕」という一人称で語るのは、唐突で違和感を感じた。
・構成上、時系列で話が進んでいかない部分に、これも戸惑うことが多かった。
・致命的なのは文章力で、主語や説明の省略が多いために、意味がすんなりと頭に入らずに、引き戻されてしまうことが多く、読んでいて疲れる。(これは、私のこと!?(爆))



三島 由紀夫
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第三章 意思的情熱

第三章では、三島由紀夫の実質的な文壇デビュー作となった「仮面の告白」出版の際の裏側の動きを検証。

大蔵省を辞め、何としても話題作で華々しく文壇デビューを飾りたかった三島の水面下での動きと心理を徹底的に追求している。

著者は「仮面の告白」における男色嗜好の告白さえも、用意周到な計画であったと推測している。
この大胆な着想と推理は驚くべきものだが、綿密な調査結果故の推理であり、妙に説得力がある。

この章では、三島のプライベートな素顔が冷酷なまでに暴露されている。

三島のブルジョワ趣味、男色嗜好、女性に対する劣等感、男性的な肉体への憧れ、上昇志向など、売れっ子作家の成りあがり的な不安と自惚れがよく表れていて興味深い。

また、この時代の文化や、人々の意識も自然に浮き彫りにされていて、昭和の文化研究としても面白い。

かといって、著者の底意地の悪いネタ探しのような視点ではなく、あくまでも三島由紀夫周辺を調査して浮かび上がった事実に過ぎない。

ボディビルディングによって肉体改造を果たし、剣道やボクシングを習ったり、豪放磊落を装う三島は、ナルシストと云うよりは、まさに「意思の人」である。

後半は三島の作家活動を通じて、作品と私生活との関連付けが多くなる。ところが、「金閣寺」作成過程の記述から、著者の今までの客観性が崩れてくる。

<三島は「金閣寺」である矛盾を抱えた。主人公は究竟頂の扉の前で拒まれた。拒まれたのは、実は主人公ではなく生き延びて日常性に飼い馴らされようと求める三島なのであった。>

三島由紀夫の評伝から外れて、「金閣寺」という作品を通じての精神分析に終始してるさまは、まさにミイラ盗りがミイラになった感がある。(苦笑)

それだけ、三島由紀夫と言う人物は、毒気があるのだ。

いや、毒気というよりは、瘴気のようなものかもしれない。

川端康成がどのような目つきで三島を眺めたのか、そこが知りたい。


☆☆☆☆

三島 由紀夫
金閣寺

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第二章 幽閉された少年


ここでは、三島由紀夫の生い立ちについて描かれている。

「仮面の告白」で大きな位置を占めている祖母・平岡夏子が三島に与えた影響は誰よりも大きい。

母親からもぎとるようにして、祖母・夏子の手元におかれ、厳重な管理の下に育てられた公威(本名)は、過保護のために虚弱な体質に育っていく。

3歳になった頃から、遊び相手は祖母が厳選した3人の女の子のみ。外に出ることは許されず、障子を閉めきった暗い湿っぽい部屋で祖母と過ごしていた。

三島が一生を賭けて求めた力強さや男性的なものへの憧れは、この去勢されたような幼年期の生活にある。

夏子の心理を思えば、華々しい活躍で日本全国や海外を飛び回り、家庭を顧みない夫・定太郎への不満に満ちた生活の中で、公威だけが唯一の愛情の対象だったのだろう。

しかし、その愛情は醜く歪んだもので、夫に対する欲求不満の捌け口だったように見える。

三島が14歳の夏、祖母が亡くなった。
祖母によって遮られていた公威と母・倭文恵(しずえ)は、蜜月を迎えた恋人同士のような気分で甘えたり愛情を与えあった。

しかし、祖母の呪縛から解き放たれた三島に残されたものがある。

性的倒錯。
貴族的な趣味とプライド。

こうした生い立ちを経て、第三章は、太平洋戦争を挟んで、作家・三島由紀夫の誕生を迎える。

***

特筆すべきは、三島が「仮面の告白」で、祖父・定太郎に関してはほんの数行しか触れなかったように、ここでも、祖母と母親との確執や三島の奪い合いに、祖父や父親・梓は表面立って出てこない。

以前、三島の不道徳講座 を読み、そのあまりにふざけた文体に呆れて憤慨して落胆したけれど、本書を読んで思い当たった。

あの三島由紀夫らしからぬ一面は、三島由紀夫の不肖の父親(笑)平岡梓にそっくりなのだ。

以前、父親が三島由紀夫の死後に書いた「忰・三島由紀夫」を読んだが、あまりにもイタイ作品だった為に途中放棄したことがある。


血は争えない。(笑)
そのうち、やっぱり再読してみようと思う。(苦笑)


平岡 梓
伜・三島由紀夫


ジョン ネイスン, John Nathan, 野口 武彦
三島由紀夫―ある評伝

John Nathan
Mishima: A Biography

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