恥を知る人なら、自分の間違った答弁をそのまま放置はしないもの | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

証人喚問や参考人招致まで必要かどうかはよくよく検討された方がいいが、桜を見る会の前夜に開催された後援会の懇親パーティに関する安倍前総理の国会での答弁は基本的に誤りだったことが分かったようだから、ここは安倍前総理が自ら然るべき場に出て、しっかり弁明されるべきだろう。

誰にでも過ちはあるので、間違ったからと言ってそれを理由にトコトン本人を追い詰めるようなことは求めないが、せめて本人に間違いを正す機会くらいは与えたいものである。

間違った答弁を間違っていないなどと強弁するのは、もはや無理だろうと思っている。

まずは、自ら間違いを認めること。

大方の国民が納得するような説明をしないと、国民の間の不信の念は募る一方である。

証人喚問や参考人招致ということになると、どうしても質問者側は糾弾的、断罪的な口調になってしまうので、本人の弁明が十分功を奏しない虞がある。

刑事法廷ではないのだから、過度に糾弾的にならないようするためにはどうしたらいいか。

政倫審の場で自分の過去の過ちについて、存分に自分の存念を語ってもらうことは、如何か。

私は、誤った答弁をそのままいつまでも国会の議事録には残しておきたくない。

「そこ」と書いてある原稿を読み違えて「そこそこ」と言ってしまった議事録を、予定原稿どおりに「そこ」と訂正したくなるのは人情だし、まあ、それでも大方の国民は議事録の訂正を受け容れるだろうが、何度も間違えた答弁をそっくり書き換えるようなことはどなたも許されないはずである。

間違えた答弁がそのまま永久に残ってしまうのは、私にはとても堪えられない。

恥を知る方なら、なんとしても誤った答弁の訂正をする機会を自ら求められるはずである。

如何かな。