いい人がいなくなったのか、それともいい人を選ぶ力がなかったのか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

多分、いい人を選び力が低下していたのだと思う。

必ず、いい人はいる。
どこかにいるはずである。

しかし、そういう人は滅多に自分から手を上げるようなことはしないから、公募で候補者を募る、というのは実に難しい。
別に自民党だけの問題ではない。
野党の中でも公募で選ばれたが、実際に国会議員やそれ相応の役職に抜擢されても大した仕事が出来なかった人がそれなりにいる。

やはり実績のある人の中から選ぶのがいいだろう。
なりたい人よりも、ならせたい人。
自分から手を上げるだけの勇気は持っていて欲しいが、一番いいのは周りから押されて手を上げる覚悟をした人だろう。

最近、下種の極み、などという言葉をよく目にするようになったが、まさに下種の極みと呼ぶにふさわしいケースに遭遇した。
ああ、真面目な周りの人に迷惑を掛けてしまったな、まあ、公人として全うするのはちょっと無理だろうな、と思うが、これは公人としての覚悟を十分に持ってはいないと思われる、まだ未熟な人をカッコいい、などといったあまり当てにならない基準で選んだ人の方が悪い。

選考に落ちてしまった人の中にいい人がそれなりにいたと思う。
そういう人のチャンスを奪ってしまったのが、やはりいけない。

皆さん、出来るだけいい人を選んでください。

そう、お願いしておく。