時を得るのも運を掴む要素の一つ | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

何だか同じように時が流れているなあ、と感じてしまうことが多いだろうが、実際には時は同じようには流れていない。

問題は、私たちが時を感じることが出来るか、だ。

空気そのものはなかなか感じることが出来ないが、風が吹けば空気を感じることが出来る。
ただ、感じるものを風だと思うだけだ。

時そのものを感じることは空気と同じように難しいだろうが、それでも私たちは現実に時を感じている。
世間の風景が一夜にして変わる時がある。
周りが真っ白な銀世界にでもなれば、ああ、時が変わったということを実感できる。
時に目鼻があれば、私たちは時を得ることがより容易になるのだが、まあ、時には目鼻がないから、周りの風景をよく見ておくくらいしか時を得る方法はないだろう、くらいに思っていた方がよさそうだ。

今は、どうやら永田町の風景が変わる時のようである。

時を得る人は、ここで動く。

ここで動かない人は、結局時を逃し、運を逃す。
元気の地方議員の人たちは、今動き出せば、時を得、運を掴むことも出来るはずだ。

私は、東京都議会議員の音喜多さんに期待している。
音喜多さんが動けば、若い人たちが動き出す。
18歳選挙権がいよいよ実現するのだから、18歳世代に一番近い若い人が動けば上手くすれば小さな雪崩が起きる。

風を起こすためには、動く。
動けば、風が起こる。

運を掴むのも似たようなものだ。

中には動き回って自滅してしまう人もいるだろうが、時が味方すれば、大抵は大きな運を掴む、いや、運を引き寄せる、と言った方がいいだろう。
永田町の風景がどんどん変わってきているのだから、音喜多さんもどんどん動けばいい。

思う存分動き回ることである。
上手くすれば、新しい歴史を作ることが出来る。

動くなら、今でしょう。