憲法改正派の仲間入り宣言の前に、憲法改正の中身を明示する方がよかった | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

多分、統治機構改革のために憲法改正推進派の仲間入りを宣言したのだと思うが、自民党が策定している憲法改正草案の実現に向けて憲法改正推進派の仲間入りをするのだとしたら、ちょっと待って、と声を上げておくのが親切というものだろう。

改革派か守旧派か、などといった2分類方式は簡明だが、大体は役に立たない。
総論賛成、各論反対などと言ったこともしょっちゅうあるのだから、改革するなら何をどう改革するのか、ぐらいは明確にしておく必要がある。

何事にも変えるべきところと変えてはいけないところ、頑固に守らなければならないものがある。
変えればいい、というものではない。

私も憲法改正賛成派、推進派の一人のつもりだが、憲法改正と呼ばわれただけですぐそれに飛びつくほどのおっちょこちょいではない。

何をどう変えるの、ぐらいな質問は必ずする。
おおさか維新の会は憲法改正派に与することを宣言したようだが、おおさか維新の会の憲法改正案は未だ聞いたことがない。
ちょっと勇み足ではないかしら、と思う。

口に出してから行動する、目標を先に明示してから行動に移すということは分かりやすくていいのだが、それが思慮に欠けるものだったり、すぐ撤回しなければならなくなるような軽いものだったりしたら、後に続く若い人たちが迷惑を被る。

沈思黙考、熟慮に熟慮を重ねて熟慮のあまりそのまま眠り込んでしまったのでは案の役にも立たないが、何も考えないでただ憲法改正、改正とだけ呼ばわるのは如何にも浅はかな観を拭えない。
改正だけが念頭にあると、護るべきもの、護るべき規範といったものについての配慮がどうしても疎かになる。

口から先に生まれた人ような人は仕方がないが、聡明さにちょっと欠けるんじゃないかしら、と思われるようなことは出来るだけ避けた方がいい。

今は、足元を固め、仲間づくりを進める大事な時である。
なーんだ、やっぱり安倍自民党の補完勢力になることを目標にしているのだ、などと嘲られたり、嘲笑されるようなことはしない方がいい。

自分たちの集まりをくれぐれも大事にすることだ。