あのオウムでさえ名称を変えたのに、何故維新の名に拘るのだろうか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

新党を作るべし、と呼び掛けているのだが未だに反応がない。
何という鈍感さだろうと少々呆れている。

維新の党(参議院)なる会派を結成して参議院に届けた人たちがおられるが、現在の時点でも「維新」の名に拘る理由がよく分からない。
皆さんが大事にしている維新の魂は既に皆さんのところからは立ち去っていますよ、皆さんのところにあるのは、いわば抜け殻の維新の衣装だけですよ、と申し上げたいのだが、セミの抜け殻でもいい、維新の名前だけでもいい、ということなのだろうか。

維新の党の争いは、いささか宗教団体の内部の争いのような様相を呈している。
ご本尊がそこにないのに、私たちが本家だ、私たちが本物の維新だとやっているのがどうやら東京組のようだ。
維新の魂が橋下氏であったことは皆さん承知されているはずなのに、橋下氏がいなくなってもなお俺が維新だ、私たちが維新だ、と言っているような感じである。

神社であれば神様がいなければ、いくら社があっても神社とは言えない。
お寺だって仏様がいなければ、誰もお寺だとは認めない。
お墓があるからそこがお寺だとは言わないはずだ。

お神輿が町内を渡御するときは必ず神移しの行事が行われる。
神が不在であれば、神輿の格好をしていても本当の神輿ではない。

橋下氏が俺が創った維新じゃなくなった、と宣言して維新の党から去ってしまったのだから、残された人たちには気の毒だが、皆さんが集っていたのは維新のようで維新ではないただの伽藍洞。
早く自分たちの根城を自分たちの好きなように作ればよかったのだが、当の橋下氏から維新の党をぶっ壊すと言われて、本当に壊されてしまったのが現在の状況である。

こういう状況であるのにも関わらず、なお維新の党(参議院)なる会派を名乗ろうとする気が知れない。
維新の党(参議院)という会派に所属する議員が維新の党の党大会を開催して新しい党代表を選任する、などと勢い込んでいるのを知った。

今更遅いよ、と思うが、どうしても党大会を開催しなければならないということに気が付いたのはいい。

ところが情けないことに党員の名簿が相変わらずないらしい。
大阪組の人たちに党員名簿を渡せ、などと息巻いておられる。

ああ、これではいつまで経っても党大会など開けない。
もう解党だと言っている人たちもいるくらいだから、維新の党はとっくに壊れてしまっているのになお維新の党の残像に拘っておられるようだ。

悪い人ではなさそうだが、物が見えないようだ。

物が見えない人にどうやって見えるようにしてあげるか、というのはそれなりに難しい仕事なのだが、ここは物が見える人が動くべき時だろう。
新党結成しか道がない、新党結成しか手がない、ということを若い皆さんに教えてあげるべきだ。

幸い時間はあるようだ。
維新の名を捨てることさえ決意すれば、案外早く道を拓くことが出来る。
何も血みどろの戦いをすることはない。

この記事は、江田氏や松野氏に対するメッセージだと受け止めていただければ幸いである。