力になるような継続の仕方 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

うーん、難しいお題をいただいた。

力になるような継続の仕方があるのではないだろうか、という問いかけである。

人を褒め続けるのも難しいが、人を腐し続けるのも案外難しそうだ、継続は力なり、とは言うものの力になるような継続の仕方があるのではないか。

私のブログを読んでプラスになった、何か学んだような気になったというのは、「継続する」ということだ、というメッセージを頂戴したことがあった。
私のブログを読んでも特別の知恵とか特別の知識が書かれているわけではないから、特に学ぶようなことはないのだが・・・・、という含意があるのかも知れないが、大抵の方は私が何事につけ、とにかく飽きずに淡々と続けていることに感心されるようだ。

ブログの更新然り、ラジオ体操然り、かつての駅立ち然り。
大体は三日坊主で終わってしまうようなことばかりである。
やってもやらなくてもあまり変わらないようなことばかりだから、何でもすぐ目に見える結果を求めたがる人は、やり始めてもすぐ止める。

まあ、やらなくてもいいことばかりだから、別に無理をされることはない。
楽しければ続けることが出来る。
自分にプラスになるということが分かれば、大抵の人は続ける。

私の場合は、楽しくて、かつ自分のプラスになることがはっきり分かってきたから続けているだけで、やればやるほど自分が損したり、自分が苦しくなることだったらやはりやらない。
いや、やれなくなる。

選挙は自分が苦しいだけでなく、家族も周りもが苦しくなるから、止めた。
自分にとってそんなにマイナスになるわけではないから嬉々として選挙をやり続けたが、ある段階を境にして自分にとってのマイナスが増えることが必至になったから、止めた。

自分の膝が悪くなっているのに、それをひた隠しにしてでも戦い続けなければならないから、これでは治療の機会を失うことになってしまうと思って、さっさと選挙戦から退いてしまった。

なんでも継続すればいい、というものでもない。
プラスになるような要素がなくなったら、さっさと止めるべし。
私なりの哲学である。

私は、他人を悪し様に罵るようなことはしないことにしている。

何を言っても屁とも思わないような、強力(ごうりき)・剛腕・傲岸不遜の人に対して、うん、これはおかしいぞ、誰かが何かを言うべきなのだがどうも誰も口を利きそうにもないな、と思うような時に、あえて批判的な言辞を弄することはあるが、まあこれはご愛嬌の類だろう。

どうせなら、いいことを続けるのがいい。

いいことを続けていれば、必ず力になるはずだ。