私のダルマはまだ目を入れていない | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

開眼したダルマは、いずれはどこかに行ってしまう。
ダルマの開眼は大願成就、おめでたいと思うときに行うものだが、まだ大願が成就していないと思うときは目入れをしないままに自分の傍らに置いておく。

自分の傍にあるダルマは、見ないようで見ているものだ。
目を入れていないダルマを見て、ああ、まだ自分は何もやり遂げていない、と確認する。
自分の傍らにあるダルマは、何も言わないでただそこに鎮座しているだけだが、何だか自分のことを見つめているような気がすることがある。

ダルマはただそこにあるだけでもいいのかもしれない。

目が開いてなくてもいい。
片目だけでもいい。
両眼とも開眼したら、何かそこで終わってしまうような一抹の寂しさも感じるかも知れないから、ただそこにあるだけでいい。

まだ早い。まだだ、まだまだだ、と自分に言い聞かせるために、町村氏は傍らのダルマに目入れをしないままに今日を迎えたのではなかろうか。

選挙に当選することだけを考えている人は、当選の知らせを聞いただけでダルマに目を入れる。
大臣になることを悲願としている人は、大臣に就任した時に大願を成就したとしてダルマの目入れをしただろう。

町村氏は文部大臣や内閣官房長官、外務大臣などを歴任したが、学生時代の仲間から贈られたこの小さなダルマには目入れをしないで、自分の机の傍らの棚に飾っていたようである。

私自身は確認していないが、お祝いの会の案内役を引き受けてくれた世話人の一人がそう話してくれた。

東大紛争の時は、まさに世の中が引っくり返るような騒ぎだった。
大学の構内のみならず、神田の学生街などを角材(ゲバ棒と呼んでいた)を持った覆面をした学生集団や若い労働者が練り歩いていたことがある。
カルチェラタンという言葉もあった。

学生運動華やかなりし頃で、革命を本当に夢想して過激な行動に走る学生もいたようだ。
大学の解体、東大の解体が叫ばれていた時代である。
反権力、反体制の嵐が吹き荒んでいたと言ってもいいかも知れない。
そういう時に、東大のすべての学部がストライキに入り、大学の構内のあちこちにバリケードが築かれ、学生も教員も大学から締め出されるような状況が現出していた。

大学側と学生の代表側が大学の正常化に向けて団体で交渉することになったのには、こういう背景がある。

町村氏は、経済学部の学生を代表して大学側との団体交渉に臨んだ。
高校生の時代にフルブライトで留学していたという経験もあり他の学生よりも年輩だということもあって全学部の代表に推され、7学部団交の議長を務めることになった。

東大紛争の転換点になった7学部団交だったと思う。

ある意味で日本の教育なり日本の体制の転換点になった7学部団交の議長を務めたのだから、当時は皆さんそれほどとは思わなかったかも知れないが、やはり実に大きな仕事をしたことにはなる。
東大紛争がずるずると続いていれば、本当に大学は解体への道を歩んだかも知れない。
荒れ狂う大学紛争の嵐を結果的に鎮める役割を担ったのだから、やはり大した仕事だったと言っていいだろう。

激動の時代であった。

政治の世界に飛び込んでも、同じようにしっかりと日本の社会を支えるような活動をして欲しい。

そういう願いを託して、町村氏に寄贈された小さなダルマである。

川崎大師でしっかり祈願されたダルマである。
ちまちました目先の成功などでこのダルマに目を入れられてはかなわないな。
そう思っていた仲間が多かった、ということだろう。

多分、町村氏も大望を抱き続けてきたはずだ。

三権の長になったからようやく残りの目を入れた、というわけではない。

歴史に残るような名議長になってもらいたい。
そういう願いを託しての、目入れである。

確かにダルマに目は入れたが、これで終わりではない。

一昨日のお祝いの会の参会者は、異口同音にそう言っていた。
単なる同窓会ではない。
全共闘運動が多くの学生の心を掴んで燃え盛っているときに、こういうことがいつまでも続くはずがない、いや続けさせてはいけない、と大学の正常化に向けて立ち上がった一般学生の中の行動派の仲間の同窓会である。

自分の一生を左右するような重大な岐路に立って、皆、それぞれに自分の道を選んできたのである。
単なる東大卒業生の懇親会ではない。
まあ、一般学生の中の闘士だった仲間の同窓会と言っていいだろう。

町村氏のダルマには、目入れをした。
しかし、私のダルマにはまだ目入れはしない。

まだ何も仕上げていないからだ。