何とか助かって欲しいと願っていたが、如何ともし難い。
多分、湯川さんは2億ドル要求の前に殺害されていたのだろうと思っている。
新たなインターネットに投稿した映像で今度は2億ドルの要求は取り下げたようだから、イスラム国の身代金要求に日本政府が応じるはずがない、という認識がイスラム国側に出来たということは間違いなさそうだ。
既に殺害していた湯川氏まで登場させたということであれば、イスラム国側の2億ドル要求はあくまで一つの政治的メッセージでしかなかった、と考えるべきだろう。
身代金の支払いに応じなかったから湯川氏が死んだ、湯川氏の死亡は日本政府が身代金の支払いを拒絶したからだ、湯川氏の死亡の責任はすべて日本政府側にある、などという短絡的で粗雑、かつ誤った論理で日本政府を攻撃するための政治的メッセージだとすれば、こういう相手と日本政府側が交渉のテーブルに着けなかったのは止むを得ない。
話にならない相手とは、話をするだけ無駄である。
今度は、ヨルダン政府に身柄を拘束されている死刑囚の釈放と引き換えに後藤氏の釈放を示唆しているようだが、日本政府としてはヨルダン政府に対してヨルダン政府が身柄を確保している死刑囚の釈放を懇願するようなことは出来ない。
日本政府が対処できるような条件を提示してこないのだから、そういう相手との交渉のテーブルに日本政府が着かなかったとしてもこれは止むを得ない。
ヨルダン政府の方から何らかの申し出があって、これに基づいて相手側と接触するのならともかく、今の状況では、日本政府は相手に対して無条件での後藤さん解放を求めるしかない。
フリージャーナリストの後藤さんには何としても助かってもらいたいが、人質を簡単に殺戮する非道極まりない疑似国家イスラム国との交渉のテーブルに着く材料は目下のところ皆無だと認めざるを得ない。
テーブルの席に日本政府が着かないからと言って、テーブルに着くだけの交渉材料もなければ、交渉の手掛かりもないのだから日本政府には何の責任もない。
イスラム国も本気で日本政府と交渉する気があるのだったら、まずは誰がイスラム国の交渉窓口になるのか、ぐらいは明らかにすべきである。
人質に取るのも悪いが、人質解放の交渉の窓口を明らかにしないのも悪い。
悪いのは、すべてイスラム国の側である。
まあ、言わずもがなだが。