間違いは間違いと何故速やかに認められないのだろうか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

間違いを間違いだと認めるのに32年もかかった、などと聞くと、誰でも実にとんでもないことだと思うだろう。

朝日新聞の慰安婦報道に関する第三者委員会が調査検証結果をまとめた報告書を昨日提出したことが、今朝の新聞各紙に大きく報道されている。
朝日がこれほどのスペースを割いて詳細に報告しているのだから、まあ、朝日としては心から反省して、悔い改め、今後は二度とこういうことを繰り返さないような体制を構築するのだろうと思う。

一応はそう思うが、しかし、本当は、またいつか同じようなことをやってしまうのだろうと半分疑いの眼で一連の検証記事を眺めている。

新聞を信じられなくなっているのだから、実に不幸なことだ。
個々の記者はそれなりに本当のことを報道しようとしていたと信じているが、トップが圧力をかけて真実を糊塗していたらしい、というのが実に情けない。
真実が通らない、本当のことが通らない、というのは、すなわち朝日では正義が通らなかった、ということだ。

本当のことを書いたら朝日の評判が悪くなる、業績に悪い影響を与える、自分の立場が危うくなる、などという理由から、あえて筆を曲げるというのだから、言語道断である。

真実を報道しようとしている現場の記者にとっては堪えがたいことだと思う。
堪えがたいことであっても、会社のトップの方針には逆らえない、ということであれば、これはそういう組織の体質がいけない。
会社全体が保身に走ってしまいやすいということだ。

さて、どうすべきか。

現場の記者に理不尽な上司の命令には従うな、反抗せよ、抵抗せよ、などと言っても現場の記者を困らせるだけであろう。
何の身分保障もないのに、首を覚悟で造反せよ、とはなかなか言えない。

やはり、トップの意識改革が必要である。

トップが道を誤ったら大変なことになる、ということをもっと徹底すべきだろう。
単に辞任すればいい、という程度では足りない。
刑事上の責任があるかどうかは問題だが、道を誤ったトップにはもっと重いペナルティを課す必要があるだろう。
もっとも、どの程度のペナルティを課すべきか、ということについてはまだ国民的コンセンサスは出来ていないから、徐々にペナルティを重くしていくのがいいだろうと思っている。
何だ、その程度でお終いか、と肩透かしを食ったような気がする人も多いだろうが、今のところはやむを得ないだろう。

しかし、それでもやるべきことは、ある。
まずは、トップの意識改革である。

トップに立つ人に対して、過ちを見付けた時や過ちに気付いた時は、その過ちを包みなく公表し、過ちを犯すにいたった原因の究明に努め、さらに再発防止策を講じる、ということを誓約させることにしては如何だろうか。
どんな誓約をさせても、守らない人は守らないだろうが、トップが宣誓するという習慣が社会に根付けば、かなりトップの意識が変わるはずだ。

これは、一新聞社の問題ではない。
あらゆる世界に通用するはずである。