間違った数字が独り歩きしないように中国の為政者に自制を求める | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

南京事件そのものを否定するわけではないが、南京事件で虐殺された犠牲者の数をいつまでも30万人と言うのは止めてもらいたい。

中国の方々の特有の表現方法なのだが、1、2、3と数を数えて、3の後はただ、沢山、と言うようなものだ。
白髪三千丈、千畳敷、万里の長城の類で、南京事件の犠牲者が筆舌に尽くし難いほどに多かったということを端的に表現するために30万人と言っているのだと思うが、30万人という数字がある程度想像可能な数字だからどうしても独り歩きするようになる。

南京事件が発生する前に南京に何人の人が住んでいたのか、南京事件の後で南京の人口はいくらに減ったのか、ということなどを調べれば、当時の日本軍に虐殺された犠牲者の数を30万人などと呼ばわるのは間違いだということが分かる。

中国の指導者は、もっと聡明であって欲しい。
間違った数字を繰り返せば繰り返すほど、国際社会に自分の無知、無教養、愚かさ加減を曝け出すことになる。
まあ、相手が間違っているからと言ってその間違いに抗議したところで何の意味もないから、黙ってやり過ごすしかないのだが、中国でも日本でもそう賢くない人たちはその数字の真偽を巡って熱い論争を繰り返すことになる。

愚かな民衆を操るための材料としては至極便利なのだろうが、ほどほどにすることである。

南京事件での犠牲者数よりも文化大革命での犠牲者数の方が遥かに多いはずだ。
天安門事件で本当に何人の学生が亡くなっているのか、少数民族の弾圧で何人の犠牲者が出ているのか、現在中国の国内で囚われの身となっている民主運動家は何人いるのか、などという問題が噴出するようになれば、中国政府の指導者は国内問題で足を引っ張られることになる。

大国になればなるほど、国内問題で身動きできなくなったときの騒動は大きい。
いくら力づくで押さえても、いずれは若い人たちが起ち上がる。

既に、香港でその兆しが見えている。