紛争解決の勘どころ9-巨岩のような困難に遭遇した時は、水になる | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

誰にしても他人から小言や文句、お叱りを受けるのは嫌なものである。

嫌なことからはさっさと逃げるのがいいのだが、どうしても逃げられないこともある。
嫌なことは、見ざる、聞かざる、言わざるの3猿主義で対応すれば、そこそこには堪えることが出来るが、見ようとしないでも見えてしまう、聞こうとしなくても聞こえてしまう、言おうとしなくても言わないではすまなくなる、ということがあるから、なかなか厄介である。

難しい仕事は易しい仕事に小分けした方がいい、大きな荷物は小さく小分けして何回にも分けて運ぶようにした方がいい、とは言うものの、どうにも小さくしようがないものがあることは事実だ。

嫌なことを聞いたら、耳を塞いで石になる。
馬耳東風というように、馬になる。
お地蔵さんになってしまう。

とにかく、何を聞いても動じない石のような動かないものになってしまう、という方策がある。
石になることが出来るのであれば、水になることも出来るのではないか、というのが私の処方箋である。

水になってしまえば、どうやっても崩せないような岩は避ける。
くねくねと湾曲してしまうが、それでもいいではないか、というのが私の対処法である。
一時的には堰き止められてしまうような感じだが、水嵩が増せば道が開ける。
時には巨岩を押し流すほどの流れになることもあるだろうが、大体は迂回するはずだ。

難問に逢着した人への私のアドバイスである。

思い切って水になれ。

いつかはなんとかなるものだ。