紛争解決の勘どころ7-無理は通さない | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

それは無理難題と言うものだ、というような無理は通さないことだ。
無理が通れば道理が引っ込む、と言うものの、無理を通せばいずれは何事も破綻する。

無理をしない、というルールだけは守っておいた方がいい。

無理かどうかはやって見なければ分からない、という人もいるだろうが、無理かどうかは経験のある人には分かるものだ。
経験のある人は、物事の難しさをある程度分かる。

難しいかどうかは確かに人によって異なることがあるから、一概には言えないのだが、私のような運転免許のない者にとっては、自動車の運転は難しい。
自動車の運転が出来る人であっても、船舶の操縦は出来ないだろう。
まして飛行機やロケットの操縦など出来るはずもない。

まずは、人の持っている能力をしっかり量る必要がある。

十分の能力を持っている人だったら、普通の人ではちょっと難しいだろうと思うような物事でも任せてみる必要がある。
100の能力がある人に90か100の力で出来ることを頼むということはいい。
私の場合は、100の能力の人には110の能力を発揮しなければ出来ないようなことを頼みがちだが、100の能力の人に110の力を発揮しなければ仕上げられないような仕事を委ねる程度のことは許容範囲だと思っている。
しかし、100の力がある人にいつも50や70の力で出来るようなことばかり頼んでいると確実にその人の力は落ちてくる。

人を育てるためには多少高めの目標を設定するのがいい。

しかし、どんなに頑張っても絶対にクリアーできないような高すぎる目標を設定するのは禁物である。
100の力しかない人に200を要求したら確実にパンクする。
150でも危ないと思う。

安全なのは110ぐらいの目標を設定することで、場合によっては120や130くらいになってもいいかしら、という感覚である。

紛争解決のためには紛争解決のための落としどころを見付ける必要がある。
絶対に獲得できないような高すぎる目標を設定すると、結局は何も得られないで終わることが多い。
残るのは挫折感、失敗感である。

挫折を繰り返していると何事にも悪影響が及んでくる。
挫折を繰り返す人には決定的に何かが不足していることが多い。

大体はどこかで無理をしているからである。

無理かどうかを見極めるのは結構難しいが、無理を通さないのが紛争を早期円満に解決に持っていくための要諦の一つであることは間違いがない。