維新の石原氏の責任は大きい。
現行憲法の基本的価値を根底から否定するような占領憲法無効論を振りかざすものだから、若い国会議員がそんな気分になってきた。
日本の国にとって何が大事か、という観念が希薄になって、ただただ日本の憲法は無効だ、こんな憲法には何の価値もない、かのような言説が罷り通り始めたような気がしてならない。
価値観を喪失した社会は無政府主義、アナーキズムが蔓延る危ない社会になる虞があるから、気をつけなければならない。
若い国会議員の間から憲法記念日を心から祝う気にはなれない、などという声が上がり始めたのが心配である。
占領時に制定された憲法だから、という一事で現在の憲法には何の価値もないように思い込むのは困る。
欠陥のある憲法ではあるが、憲法全体をそっくり否定してしまうと、日本には拠るべき最高規範が存在しないことになってしまう。
自民党の自主憲法制定運動の根底にはどうもそんな気分が内在していたようで、伝統保守とか真正保守を名乗る人たちの間に現在の憲法が掲げる基本的価値を根底から否定したいのではないか、と思える節があるのが気にかかる。
天皇を元首と位置づけよ、教育勅語を復活させよ、皇室を尊重せよ、総理の靖国参拝を実現せよ、憲法9条を改正して自衛隊を軍隊と認めよ、日本の安全保障体制を強化せよ、国民の権利だけでなく義務ももっと明記せよ、国民の権利行使は公共の秩序維持に反しないという制約下にあることを憲法に明記せよ、などなどの声を聞いていると、この人たちは現行憲法の国民主権、基本的人権尊重、平和主義の理念そのものを全体として否定したいのかしら、とさえ思えてくる。
一人一人の主張を聞いていると決してそんなことまでは考えていないということは分かってくるのだが、その勇ましい言辞だけを聞いていると、如何にも戦後の日本の民主化路線そのものを否定したいのかしらと思えてくる。
困ったことだ。
石原氏の独特の感性に基づいた文学的な文脈での憲法無効論だから、現実にはこのような憲法無効論は何の力も持ち得ないのだが、憲法無効論が若い方々の心を段々に蝕んでいく虞があるから、いつまでも石原氏の放言を放置しておくことはよくないと思う。
人が大事にしているものは、滅多に壊すものではない。
占領憲法無効論は日本国憲法に対する若い方々の侮蔑感情を醸成する方向にしか作用しないからほどほどにしてもらいたい、というのが私の偽らざる感想である。
穏健保守の立場で憲法の価値を高く評価する識者の登場を心待ちに待っているが、今の政治状況ではそんな人はなかなか表舞台には登場できないのだろうか。
ちょっと日本の先行きが心配になる。
どうやら今のNHKも余り当てには出来ないようだ。
困ったことだ。
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