さて、私の言説には根拠もない、論理もないと批判されてしまったが、どう答えるべきか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

うーん。とうとう同情を買ってしまった。

信じる者は救われる、という書きぶりから、この方は私の言っていることが雲をつかむようだ、という印象をもたれたのだろう。
雲をつかむような一般論のようであって、実は直接の当事者にとっては大事なメッセージやアドバイスになっている部分があるから、なんだか変だな、と思われたに違いない。

信じるものは救われる、という文言は、多分、私が時々文章の末尾に、「参考にするもよし、されぬも良し。いつものとおりだ。」と付言するからだろうと思っている。
これは、「参考にしてください、参考にしないと損をしますよ、参考にしない人は愚かだと言われますよ」ということを一段か二段オクターブを下げて書いているだけのことで、要は、こういうことはお分かりか、と指摘しているだけだ。

政治家や法律家の言説らしくないと感じられた部分は、多分、私の若い方々へのメッセージに関する感想なのだろうと思っている。

根拠があるか、論理に整合性があるか、ということについての批判は、多分一部の読者の方々とのやり取りについての感想なのだろう。
かなり細かい事柄についてこだわりを持って私の感覚的でアバウトな議論に食いついてこられる方が時々おられるが、答えられるものには答えるが、大体は答えられないようなことが多いのでそのままにしていると、根拠がないとか論理的でない、という感想になるのだろう。

まあ、私に論争を挑みたい方にとってはいささか物足りないだろうが、それでも皆さんの率直な感想や反発・意見・積極的な気宇的な提言を引き出す糸口にはなるだろう。
まあ、大目に見て、皆さんのコメントを寄せていただければ幸いだ。

68歳の若さなのに、お気の毒だ・・・、などと別に同情を寄せていただかなくても結構である。
これでも気分は、28歳である。

参考:ある読者の方からのコメント

「早川先生の最近の書き込みは、政治家でもなく法律家でもない、宗教者のそれに近いです。
根拠も論理もない。信じる者は救われる。そのようにしか読めません。
まだ68歳なのに・・・。
残念です。」