身銭を切らないところに維新の弱さがある | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

維新とみんなの党との合流が今回実現しないとすれば、維新もみんなの党も今回の選挙では大した成果を上げることは出来ない。

今日大相撲の千秋楽を迎えるが、維新はいわば態勢が整わないまま立ち上がったので腰が入っておらず、このままでは腰高のまま押し切られてしまいそうである。

みんなの党は逆に構えすぎて動きが悪くなっている。

折角勢い込んで維新やみんなの党の旗の下に集まってきた若い方々が気の毒でならない。
結構頑張ってきたのに、今のままではもう一歩及ばない。
維新もみんなの党も同じだ。

維新は、各候補者から金を集めたようである。
大阪の人はこういうことにはしっかりしている。
大阪の人は計算には強いようだが、しかし政治に関してはあまりいいことではない。

本部に金がないから議員や候補者から金を集めるというのでは、若い人を育てるという本旨からは外れてしまう。
まだ本格的な政党を作るには早かったということだろう。
これでは、せいぜいが同好会レベルで終わってしまう。

人、物、金の三つを揃えるのが組織作りの基本である。
あの維新政治塾に応募した4000人から2000人を選抜し、その中から800人の候補者予備軍をえり抜きながら、結局最終的には100数十人の候補者しか擁立できなかった、というのは、維新の現在のシステムにどこか大きな欠陥があるからである。

一番の問題点は、やはり橋下氏や松井氏に自ら泥を被る覚悟がなかったことだろう。
候補者にすべての資金を用意させ、その金の一部を本部に拠出させることで本部の経費を賄う、というところに問題があった。

企業団体献金は一切受けないという制約を課したために、維新ははじめから政党として機能しないように運命付けられていたようなものだ。
このシステムの欠陥は、代表も幹事長もまったく身銭を切らないで済む、誰に対しても責任を取らないで済むというところだ。

どんな小さな企業も資金繰りに悩む。
どんないいことであっても、先立つものがなければ前へ進めない。
そういうものだ。

それを、維新は、塾生や候補者あるいは議員の拠出で賄おうとしている。
これを改めなければ、次へ進むことは難しい。

政党は何も国会議員や地方議員だけで成り立っていくものではない。
政党らしくなるためには、どうしても裾野を広げていく必要がある。

維新の執行部の方々は、どうやら目先の計算に囚われて大局を見失ってしまっていたようだ。
維新が大きく成長していくためには、組織論から考え直す必要がある。
この際、維新の本部は東京に置いたら如何か。