5日間で1250キロ走破。多分、これが最後だろう | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

豪雨と共にやって来て、豪雨と共に去った、というところだ。
別に私が雨男というわけではないが、丁度私が福岡空港に着いた7月11日から北九州を中心として九州全域に記録的な豪雨が襲ってきた。

700ミリもの豪雨に襲われた地域がある。

あちこちで堤防が決壊し、土砂崩れや洪水で死者・行方不明者が30名を超える被害が出たの
だから、皆さん十分ご承知だろう。

阿蘇から熊本に抜ける道は寸断されているという状況で、福岡から熊本、熊本から大分、大分から宮崎を経巡って鹿児島まで行った。

さらに鹿児島から阿蘇、阿蘇から柳川、柳川から長崎に行くというコースが予定されていたが、結局柳川には行かなかった。
行けなかったのである。
高速道路が寸断され、一般道を走るしかない状況の中で、時には濁流が渦巻く河川を真下に眺め、時にはざっくりと山肌が抉り取られ木々が散乱し、道路があちこちで冠水している中を懸命に走り抜いた。

熊本からフェリーで島原半島に渡り、雲仙普賢岳を目の当たりにしながら、長崎に向かった。

被災地の状況をほとんどすべて目の当たりにしたことになる。
被災地の視察が今回の旅行の目的ではなかったが、結局はそうなった。
どうやら、今の私はこういうことからは簡単に自由にはなれないようである。

昨年東北の被災地をラジオ体操のお仲間の内藤さんの運転で廻ったときは、3日間で1650キロ走ったという記憶だ。
今回は、北九州を中心に、5日間で1250キロである。
しかし、多分これが最後だろう。

さすがにこのスケジュールはきつい。