新しい挨拶の仕方 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

挨拶が無い。
古い世代の人は、時々そんなことを言う。

何度もご挨拶にお伺いしたはずなのだが、聞こえてくるのは、挨拶が無いという一言。
挨拶が無いからということで、何もしてくれない。

こういう人はいつまで経っても何もしてくれないものと割り切ることだ。
誰かが何かをしてくれると期待するから、すべてが後手後手に回る。
誰も何もしてくれないものだと思っていると、思わぬところで思わぬ人が手を差し伸べてくれることがある。

地獄に仏、という言葉があるが、選挙の現場は多分地獄ほど酷くは無いが、極楽とは程遠い。
そういうときに手を差し伸べてくれる人は、仏様である。

私の選挙区の仏様は、大体が女性の姿をしている。
男性の姿の仏様もいるはずだが、なかなか見当たらないのが現実である。

いくら探してもなかなか仏様には出くわさないはずだから、仏様のいそうなところに出向くに限る。
神様や仏様がしばしば出歩いているのは、大体は駅である。

駅に出向くことである。
おはようございます、の挨拶を仏様や神様に向けてすることである。

心を籠めて朝のおはようございますのご挨拶や、夜のお帰りなさい、今晩は、の挨拶を繰り返していると神様や仏様がおはようございます、とか頑張ってください、という挨拶を返してくれることがある。

何度行っても挨拶が無い、という人のところには一度行けば十分である。
何の役にも立たない。
そのことだけは保証する。