日本のジャーナリズムの劣化と本物のジャーナリストの不在 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

朝日と読売の大喧嘩がどうやら収まってきたようだ。

さすがにこんなみっともないことをいつまでも続けられていたのでは読者から見放されると気が付いたのだろう。
我が家でもすんでのところで朝日と読売の購読を打ち切るところだった。

両紙の紙面とも急速に平常に戻りつつある。
裏で何があったのか知りたいところであるが、まあ良しとしよう。

上杉氏が昨年の暮れにジャーナリスト廃業宣言をしていたということは知らなかった。
著名人ではあるがジャーナリストではない、ということになると、単なるタレントの類。
私の当たるも八卦、当たらぬも八卦、とチョボチョボだということになる。

作家上杉ではあるがジャーナリスト上杉ではない、ということになると、偶にオッと思うような素晴らしい記事や一見卓越した論評や解説記事が出てきてもそこに書かれている内容自体は鵜呑みにはしない、してはならない、ということを了解した。

私の書くことは本当かも知れないし本当ではないかも知れない。
鵜呑みにはしないでください。
ジョーク、ジョーク。

はじめからそう言ってもらえば分かり易かったのだが、如何にも皆さん、自分だけが本当のことを知っているというような素振りをするものだから、純朴な私たちはつい騙されてしまう。

作家上杉氏については、了解した。
それでは、朝日や読売はどうか。

ジャーナリズムらしい振る舞いをしているのか、いささか疑問がある。

記事の埋め草にでも困ったのか読売巨人軍の醜聞を大きく取り上げてゴシップ新聞に成り果てた朝日。
すわ身内の一大事とばかりに、公共の紙面を朝日攻撃一色に染め上げて私物化した読売。
いずれも、とてもまともなジャーナリズムらしい振る舞いではなかった。

小沢氏に関する報道についても明らかに変化がある。

ほう、相手の顔色を窺いながら朝日も読売も記事を書くのか、と思うような変貌ぶりである。
日本には本当のジャーナリズムもなければ本物のジャーナリストもいないのかしら、と思うような現象である。
こんなことでいいのかしら。

いやはや。