昭和20年に生を受けた私たちの世代は、ある意味で戦争の犠牲者である。
私自身が直接戦争の犠牲になったとは言わないが、間接的には犠牲になっている。
私の周辺の人が戦争で亡くなったり、あるいは戦犯で捕えられたり、戦争で一家が離散して孤児になったり、と様々な人々の家庭生活が目茶目茶になっている、という事実は知っている。
言わないだけである。
グッと堪えて何も言わなかっただけである。
戦争がなければ経験しなくてもいいことを、幼い私たちは経験してきた。
今の若い人たちが経験していないことを、私たちの世代は経験している。
若い人たちに同じような苦しみを与えないようにしなければならない。
私自身は、そう思っている。
憲法9条の平和主義を簡単に捨て去るような愚かなことには、絶対に加担できない。
国民の過半数が憲法9条の廃棄を求めているなどと錯覚すべきではない。
国民の義務の一類型として国防の義務を明示すべしなどという議論に乗せられて、うっかり憲法改正草案に国防の義務などという条項を織り込んでしまえば、次に来るのは徴兵制の導入である。
とても傭兵では国防軍を賄えない。
国防軍の創設で日本は軍事国家への道を歩み始めることになる。
同盟国のアメリカがこういう事態を歓迎するとは思えないから現実には国防軍の創設などあり得ないと思うが、万一何かの拍子に国防軍が創設されたら、国家による国民の監視がぐっと強まることになる。
教育の国家統制も当然強くなる。
私有財産の保障も形骸化していく。
すべてが国家のために、ということになる。
随分窮屈な社会になるだろう。
今でさえ罵詈雑言を浴びせかけられかねない状況だが、いずれは、馬鹿だちょんだという罵声の代わりに非国民だ、売国奴だ、などという罵声が登場することになる。
そういう社会に日本をしたくない。
色々意見はあるだろうが、軍国主義国家になる虞があるのだから、国防軍の創設などという妄想は早いうちに潰しておく必要がある。
如何か。