百年河清を俟つ(待つ)、という言葉があるが、百年も待つ必要はない。
10年である。10年待てば日本は劇的に変わる。
10年以内に日本の選挙運動の仕方が大きく変わる。
これまで有権者のご機嫌取りに走り回っていた政治家が政策を磨かないと有権者から見離されるようになる。
各種の会合に顔を出して有権者との親交を深めることが国会議員の主たる仕事となっている現状が10年以内に劇的に変わる。
そのことを予感させるような話を聞いた。
あちこちのパソコン教室がそれなりに賑わっているようだ。
満員と言うわけではないようだが、5台のパソコンを置いているパソコン教室が一日に何回も教室を開いている。
若い女性が結構多いんですよ。
ラジオ体操の後のストレッチ・何でも放談会の場でいつものメンバーからそういう声が上がった。
ほう、20代、30代の女性がパソコン教室に通っているのかしら、などと一瞬思ったが、若いといった相手は40代、50代の女性のことであった。
まあ、70代の方から見れば40代、50代は確かに若い。
40代、50代の女性が今パソコン教室に通っているというのは、こういった方々がこれまでパソコンに触れる機会がなかったということだ。
40代、50女性の方々が今パソコン教室に通っているということは、この年代の人にとって今やパソコンが必需品になってきているという証拠である。
私は60になってから自分でブログを書くようになったが、それまでは大抵の文書作成は事務局か若い弁護士任せだった。
メールを自分で送ることも自分で作成した文書をメールに添付して送信することもしなかった。
それまでは自分でする必要がなかったから、結局何もしないし、何も出来なかった。
今60代以上の人々は、大体はそんなところだろう。
スマートフォンを使いこなしている60代の人がおられたら顔を見てみたいくらいだ。
自分で文書を作成せず、自分でメールを送ることもせず、さらにはインターネットを見ないような人たちが相変わらず政治の世界で幅を利かしているのではなかろうか。
インターネットの凄さが分からないから、なかなかインターネットの世界に入ろうとせず、むしろこれを敬遠する。
そういう人たちがインターネットを利用しての選挙運動の解禁に反対し、若い人の政治参加、政界への算入を阻んできた節がある。
政治家で実力者と言われる人たちは、大体は60代以上である。
10年経てば皆70代になる。
10年経てば、インターネットを利用しての選挙運動や政治活動が当たり前になる。
その場限りの思い付きやその場限りの甘い囁きがもはや通用しなくなっている時代である。
選挙運動にインターネットの利用が出来るようになると、候補者の人と形(なり)を知るための材料があっという間にお茶の間に届くようになる。
野田総理の街頭演説の模様がユーチューブで公開され、あっという間に人口に膾炙するようになった。
この映像を見た人は、日本の政治家が如何にでまかせを言うものか、その場限りのでまかせが如何に国民を惑わせるものかを知ったはずだ。
インターネットに習熟した人たちはテレビや新聞報道を鵜呑みにしなくなる。
誰が、どこで、いつ、どんなことを言ったのか、を確かめるようになる。
テレビで如何にも博識そうに語っているコメンテーターの人たちの底の浅さがすぐ分かるようになる。
まさに、これがメディアリテラシーの問題であるが、今パソコン教室に通っている若い女性の方々が目覚めると日本は一晩で変わる。
10年待つのだぞ。
10年経てば、日本に革命が起きる。