今日の判決を不条理と受け止めると恨みが残る。
どういう結果になっても、まずは淡々と受け入れることだ。
世の中の道理を受け容れるという、ただそれだけのことで物の見方が変わってくる。
自分自身が立てた理屈や自分の中にある道理がそのままでは世間には通用しない、ということは結構あるものだ。
その違いの感覚があれば、ジタバタすることはない。
石川被告の心境は、かなり澄み切っているようだ。
判決を待つ人はとかくジタバタしがちだが、明鏡止水の如しという心境に達した人は一種の人生の達人である。
石川氏の昨日のブログがブロゴスニュースに転載されていたが、昨日は結構あちこちの団体の行事に参加して終日忙しかったようである。
判決を待つ人にとっては余計なことを考える暇がないくらいに忙しい日々を送ることが実は最良の薬になる。
すべてを誰かに預けてしまえば、余計なことを考えなくなるものだ。
それが弁護人なのか、家族なのか、それともどこかの神様なのかはともかく、自分では何も考える必要がなくなれば悩みもなくなる。
すべてを受け容れよ。
これが、今、弁護士として出来る最高のアドバイスである。
そして、もう一つ大事なことがある。
世間を畏れよ、ということだ。
自分の小ささに気付けば、自然と世間を畏れるようになるものである。