ポツダム宣言を受諾した今日ではなく、8月15日を終戦記念日として意識する理由 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

私にとって8月15日は終戦祈念の日である。

どんなことがあっても、強制的に若い人を戦場に送るような日が来ないようにしたいと思っている。
しかし凡庸な政治家の下では、いつ日本が戦争をする国家になるかもしれない、という危惧も持っている。
戦争放棄の憲法9条の精神は、後世までしっかり残していかなければならない。
これが私の思いである。

一方、自衛隊の存在を貶めるようなことはすべきではないと思っている。
自衛隊違憲論を唱えてきた日本の憲法研究者に対しては、それは違う、と申し上げてきた。
しかし、日本の憲法学者の間では自衛隊違憲論が優勢だった。
政府の有権解釈に基づく自衛隊合憲論が、随分無理な論理の積み重ねの上に構築されているように思われ、そういう技巧的な解釈で違憲、合憲を判断するのはよくない、というのが私の基本的なスタンスであった。
だから私は、自衛隊の存在を憲法上に位置づけることによって違憲、合憲の神学論争から日本の国民を解き放つことを提唱した。

しかし、政治の世界でこの問題は事実上解決されていった。
村山内閣が誕生し、当時の社会党が自衛隊を合憲だと認めたことによって一気に自衛隊違憲論は政治の世界では力を失い、若者の心を惑わせる材料が一つ減ったと喜んできた。
憲法の条文には一切手を付けないでも、憲法の解釈についての国民的合意が成立すれば憲法上の大議論を克服することができる、ということを学んだ。

私は、杓子定規になんでも法律の条文に明記しなければならないものだ、などとは主張しないことにしている。
法を支える基盤に目を向けることが大事であり、法律の上っ面に拘泥しすぎていわゆる法匪のようになることを自戒している。

さて、明日の終戦記念日を今の若者はどう迎えるのだろうか。
この日を敗戦記念日だと唱える人がいたら、私はいや、それは違うと言う。
法匪のようだが、ここは法律家としてあえて異論を述べておく。

8月15日は日本が連合国に対して敗北を認めた日などではない。
日本がポツダム宣言を受諾する意思表示を連合国に発した日は、前日の8月14日である。
8月15日は、天皇陛下が終戦の詔勅を国民に対して発した日。
同時に日本の陸軍、海軍に対して停戦命令を発した日。
これが、私の法律家的観点からの見方である。

私は、ポツダム宣言受諾の日を特別に祝う気にはなれない。

しかし、8月15日には特別の思いを持って靖国を参拝するつもりである。
祝うのではない。
祈るためである。

その違いが皆さんにはお分かりになるであろうか。

民主党の国会議員は、こうしたことに鈍感であり、かつ勉強もされていないようなので、些か心配である。