菅総理は何のために被災地を視察したのか | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

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弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

前回私が釜石を訪問した日の前日に菅総理が釜石を視察していた。
おそらく市谷あたりからヘリコプターで被災地のどこかまで一っ飛びして、車に乗り込んで知事や地元の首長の案内で主な被災地の避難所や被災場所をちょこちょこと見て、関係者や被災者のごく一部の人と話しをして慌しく東京に戻っただけだったのだろう。
マスコミ陣にちゃんと被災地の視察をしましたよ、とアピールすることが菅総理の目的だったのだろうと思っている。

釜石は静かに泣いている、と前回の訪問の際のブログに書いておいたが、今日釜石を再訪しておよそ被災地の復旧・復興が進んでいない状況を目の当たりにして愕然とした。

依然として瓦礫の山があちこちにある。
港周辺のすべての建物に×が書いてある。
簾のように鉄筋が剥き出しに垂れ下がって、如何にも今にも崩れ落ちそうになっている建物があちこちに散在している。
アジアン・シンフォニーという船舶が陸に乗り上げ、堤防の一部に噛み付いているのが未だにそのままになっている。
あちこちに車の残骸が転がっている。
陸地に乗り上げた船が今もそのまま。
桟橋は壊れたまま。
信号は相変わらず点いていない。

え、あの時のままじゃないか。

菅総理は何のために被災地を訪問したのか。
何のために、決然と生きる、などという寄せ書きをマスコミ陣に披露してみせたのか。

今回の大震災が一地方自治体のレベルで対処できるようなものではないことは分かっていたはずだ。
被災地の復旧や復興について国が直接陣頭指揮を執らなければ到底復旧・復興など出来るはずもないことは分かりきっていたはずだ。
総理が被災地に視察に行くのは、通常は自分が陣頭指揮を執ることをアピールするためである。

政府の最高責任者の菅総理が被災地に自ら乗り込みながら、被災地の状況は視察の前と後ではほとんど何も変わっていない、ということを知ったら皆さん私と同じようにびっくりされるはずだ。

早くどかしてくれー、この重い物を何とかしてくれー、助けてくれー。

原爆投下による被爆者の方の被爆直後の姿を描いた絵を見られた方は多いはずだ。
皮膚が溶け出してて垂れ下がっているあの凄まじい地獄絵である。
釜石では、鉄筋や壁材がラーメン上に垂れ下がって、建物が悲鳴を上げていた。

菅総理は何のために被災地に赴いたのか。
何も変わっていないことについて、現在どう思っているのだろうか。
菅総理は、本当に何もしない人である。

ちゃんとやるように指示を出しました。
そう、菅総理は答えるのだろう。

大臣は何をやっているんだ。俺は指示を出したはずだ。
ちゃんとやるように指示を出している。
事務方は何をやっているんだ。
俺は指示を出した。
菅総理はそう思っているのに違いない。
自分が責任者なのに、自分の責任は棚上げして、何も進まないのは事務方のせいだと言いかねない。

釜石は激しく泣いていた。
まだ何も進んでいない。

釜石だけではなく、他の被災地も似たり寄ったりだったということをとりあえず皆さんに報告しておく。
これはいったい何なのか。
不思議な不思議な光景だった。

まもなく被災から5ヶ月が過ぎる。