今朝の読売を読んでいて当時のことを思い出した。
メディアの皆さんが追っていたのは、小沢氏が政治資金で不動産を購入している、という問題だった。
いや、私個人としての不動産購入ではありません、というのが、小沢氏の弁明だったと思う。
あれは、ええ、私は不動産を購入していますが、何がいけないんですか、と切り返しておけば、今日の事態にはならなかったかも知れない。
どこから不動産をこれだけ買う資金が出てきたんですか、と聞かれれば、銀行から一部は借りましたが、それ以外にもその位のお金は前から持っていましたよ、と答えれば、それ以上は追及できないところだった。
「あれは、私の政治団体が取得したものです。
秘書の寮を建設するために土地を買いました。
政治団体の名前では不動産の登記が出来ないので、代表者である私の名前になっております。
このとおり確認書も取り交わしております。
私は、すべてを公開しております。」
こんな趣旨の弁明だったと思う。
この段階では、ふーん、そんなもんかな、ということになる。
当時、個人で買ったものを政治団体に売却したんだ、などという説明は一切ない。
法人格のない政治団体が不動産を購入する、などということは、私は、考えたことも聞いたこともなかった。
土地の形状や、自宅から近いところにある如何にも値上がりしそうな物件であるということを考えると、個人の投資物件じゃないかな、と直観的に思ったものだ。
「政治団体が取得したものです。政治団体の政治資金収支報告書に政治団体の保有不動産としてきちんと書いてあります。」などと説明されると、それ以上追及しても仕方がない、と思うが、同時に、「うーん、その程度で政治団体の所有物件と認められるのだとすれば、税務当局もずいぶん甘いものだな。」とも思ったものだ。
一般の政治家はさすがにそんなことは知らないから政治団体で不動産を購入などしなかったようだが、政治の世界で長年生活してきた、ごく一部の人が政治団体を活用したようだった。
普通は国会議員本人はこんなことに頭が回らないが、ベテランの、しかもボスに忠実な秘書がいると様々な知恵を駆使する。
小沢事務所にも町村事務所にも頭のいいベテランの秘書がいたから、政治資金規正法を最大限活用したのだろう。
潤沢な政治資金が入る仕組みを作ったところだけが、こんなことを考える。
まあ、私なんかと比べると本当にえらいものだ。
それは、さておき、私は、小沢氏が政治資金で不動産を購入したのではないか、という当時のマスメディアの直観は案外正しかったんじゃないか、と思っている。
政治団体の金で買ったと批判されないように不動産を購入するときは銀行から借り入れを起こすようにしていた、という説明なら十分通用する。
税務署もマスコミも不動産購入の資金をどこから調達したかについては関心を持つが、どうやって返済したかについてはスルーしてしまうものだ。
銀行からの借り入れは、大体は税務署対策である。
税務署は不動産の売却について、売主と買主の双方に売買代金の金額や売主、買主の住所、氏名、不動産売却の時期などについてお伺いしたい、と質問書を送付してくる。
税務調査の資料にするためだろう。
どこから不動産の購入資金を調達したか、ということが税務署の最大の関心事である。
身内の金を借りた、と言えば、借用証書は作ったのか、現実に返済しているのか、利息は払っているのか、などと聞かれる。
どこかで贈与税の課税が出来るのではないか、というのが税務当局の関心である。
万一全額個人の資金で買った、ということにすると、まずどこの預金を取り崩したのか、ということになる。
いや、預金は取り崩していません、となると、それじゃあ現金で持っていたのか。その現金はどうやって作ったのか、それまでの税金申告の内容に照らし合わせて納得できるものか、などという詮索が始まることになる。
所得税の逋脱を疑うことになる。
いずれにしても当事者にとっては、随分厄介なことだ。
だから、銀行からの借り入れ、という形式を使うようになる。
潤沢な現金があっても銀行から借り入れを起こしておいた方がいい、というのは税金対策である。
ほとぼりが過ぎる頃銀行への返済を済ませてしまえば、誰も何も言ってこない。
長年の経験からこんなことを学んだ人が、銀行からの借り入れという形式を整えることを勧める。
こういう場合の返済は、借り入れから大体2,3年後である。
小沢氏の不動産取得は、このパターンが一番当て嵌まる。
これは、税金対策の手法だな。
私は、そう思ったものだった。
これをその通りにやっていれば、全部合法的だった、と言えるだろう。
これに妙に政治団体を絡ませ、確認書まで作ってしまったからおかしなことになってしまった。
単なる財布代わりの数ある政治団体をそれぞれ実態があるように工作しなければならないことになった。
一時的に政治団体の口座から引き出した金が借入金になったり、個人の銀行からの借り入れをそのまま政治団体の借り入れに付け替えたり、何が何だか分からないような処理をせざるを得なくなった。
辻褄を合わせようとして辻褄が合わなくなっている、というのが現在の小沢氏問題の本質ではないだろうか、というのが、私の見立てである。
この状態では小沢氏が人前で確定的には何も述べたくない、と思うのは、ある意味で当然である。
どこかでボタンのかけ違いがあったのだろう。
私は、そう見ている。
さて、永田町異聞さんがどんな見立てでおられるのか、知りたいところである。