武士(もののふ)の覚悟 | 早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

早川忠孝の一念発起・日々新たなり 通称「早川学校」

弁護士・元衆議院議員としてあらゆる社会事象について思いの丈を披歴しております。若い方々の羅針盤の一つにでもなればいいと思っておりましたが、もう一歩踏み出すことにしました。新しい世界を作るために、若い人たちとの競争に参加します。猪突猛進、暴走ゴメン。

先日、守屋武昌氏とお会いしたばかりだった。

今朝の新聞各紙に守屋氏が上告を取り下げ、実刑の有罪判決が確定し、収監されることになった、という記事が載っていた。


守屋氏のすぐ脇に座って、話を聞いたばかりであった。

自分の裁判のことについては黙して語らず、日本の防衛・安全保障問題などについて熱く語っていたその語り口やそのまっすぐ伸びた姿勢は、まさに武士のたたずまいであった。


「普天間」交渉秘録ですべてを語り尽くした、という満足感があったのだろう。

裁判でこれ以上成算のない戦いをしないことにされたようだ。

私は、それがいいと思っている。

それでいいと思っている。


自分の刑事事件については言いたいこともあったようだが、これを封印して、自分がどうしても言っておかなければならない大事なことを後世のために記録に残して、従容として縛につく、などということは、常人では出来ない相談である。

罪を憎んで人を憎まず。

自分のやったことは法に触れる行為であった、ということを素直に受け入れる守屋氏の姿は、ある意味で潔い。


勿論、自分の正義を貫くことは大事である。

自分が関わってもいないことで罰を受けるような理不尽なことは、絶対にあってはならない。

しかし、保身のために、理屈をこねくり回し、あるいは目くらましのために、証拠を捏造したり隠蔽するなどという姑息なことは、武士にはおよそ相応しくない。


小沢氏や鳩山氏、輿石氏を巡る一連の刑事事件について、国会では残念ながら十分な解明が行われたとは言い難い。

せめて今回の民主党の代表選挙を通じて、それぞれの候補者の武士としての覚悟を問い質すような、厳しい質疑がなされることを期待している。